(98)・・・毒舌セカンドオピニオン・・・

 もう随分昔になるが、ホームページを持っていて、今どころじゃない言いたい放題をやっていた。今と違って、50代までは、元気が余って余って、まだ仕事をやり足りないように思えていた。

 恥ずかしいことに、自分の医療に自信を持ち、いいように言えば、「人助けをするんだ」という気概に溢れていたのだ。しかし、パソコンなど触ったことも無く、ホームページどころじゃなかったところを、患者会ごかいの奇才サンスベリアが、突然の衝動?で、パソコン教室に通い始めた。「すまんが、わしのホームページを作っておくれんか?」

 こうやって、ずぶの素人が作り上げたホームページは、その色合いといい、構成といい、実に不思議な雰囲気を醸し出し、「うさんくさい」とか「あやしげな」とか、「ちゃんこ鍋風」とか、いろいろ言われた。しかしながら、その後かなりの閲覧数になり、賑わいを極めたのである。今も、往時をしのばせる表紙だけが残っている。(クリック→https://archive.fo/3w8Ne)  

 県外から、あらゆる階層、職種の人たちが乱入し、議論が白熱することもあった。そんな盛り上がりの中で、寝込んでしまい、最後は閉じてしまわざるを得なかったのが、残念で仕方ない。

 閉鎖に進んだのは、どうやら自分の精神医療が、人を助けるどころか、旧来の精神医療から一歩も出ていなくて、使い物にならなかったのが大きい。だから、セカンドオピニオン活動どころじゃなかったのである。もちろん、5年間も寝込んでしまい、一時はかなり衰弱していたから、やむを得なかった。当時から今に至るまで、昔の処方について、懺悔の気持ちに押し潰されそうである。

 例えば、ホームページを作ってくれたサンスベリアだって、ひょっとしたら、抗精神病薬は不要であり、漢方だけで十分だったかも知れない(今は、リスパダール0.5㎎☆)。難聴、電気ショック後遺症、生育歴など、ハンディキャップが多かった上に、抗精神病薬を飲んだ彼女は、ボンヤリしている時間も多く、こんな素晴らしい「仕事」をやり遂げたことに、驚きと感謝の念に堪えない。

 当時の世間は、今以上にものすごい悪処方が横行していた。さすがに単剤処方の僕は、「自分だけはマトモ」という錯覚に陥っていたのだ。クロルプロマジン換算3000㎎など当たり前で、5剤6剤を上乗せした超大量処方を見るたびに、世間に警鐘を鳴らしたくなったのである。

 個人的なホームページは、地上の旅人「セカンドオピニオン掲示板」に連結し、愛媛どころじゃない、都市部の荒廃を知るに至った。有名大学、有名精神科医の処方を見るにつけ、表と裏のあまりの違いにあきれたものである。「東京砂漠」という言葉も流行った。

 いまでも、抜け殻だけのホームページ(表紙のみ)が残っている。自分なりの斗いの軌跡だとも言えるから、懐かしいとも思うが、苦渋に満ちた複雑な気分になる。

 おすすめ映画のナンバー1が、「まぼろしの市街戦」になっている。社会に出た精神障害者が、戦争や差別に満ちた世間に絶望し、精神病院に戻る…という反戦映画である。まだの方は、是非見て頂きたいものだ。

 きみの眼に 紺碧の海 かがやけり (サンスベリア)

(出典:まぼろしの市街戦)