(181)・・・ブラクジラ<和気に流れ込む大川、久万川>・・・
(174)ブラクジラ<宮前川>の続きを書いておきたい。街なかを流れる川は、一級河川の石手川、その支流の宮前川(その又支流の中の川)だと書いた。しかし、和気の田園地帯の利水には、水が足りない。そこで、宮前川の道後今市あたりで、分流をして①、大川が和気浜まで流れている。
護国神社の東で、丸山川(その支流の祝谷川)と合流して、西に流れを変える。丸山川は、白水台あたりが源流である。一草庵➁やジャガランダの樹⑪を過ぎ、山越交差点付近で、今度は北上する。
スーパー「ハトマート」前③から、196号線沿いに流れ、吉藤川と合流して、西に流れる。このあたりは、鴨が多くて鴨川と呼ばれた。昔は、松並木がうっそうと茂っていたが、今も名残がある。
そこから、再び北上し、溜め池3兄弟(志津川池、高木池、馬木池)を過ぎれば、大川の西は広々と和気地区になる。今も、稲作が多く残り、俯瞰して見る限り、昔と変わっていない。西に経が森、東に高縄山系、北は和気浜と斎灘に囲まれ、88ケ所52番太山寺⑧、53番円明寺がある。予讃線伊予和気駅⑨があって、無形文化財「一体走り」で有名な勝岡八幡神社⑩もあるよ。それらを包むように、大川と久万川が流れているのだから、何でもありである。(ビルやマンションは一つも無いわいな!)
大川は、井関農機のあたりを左折して、和気浜漁港手前で、久万川と合流して海に至る④。海抜0m地帯が広がり、どちらの川も容易に氾濫した。だから、河口堰が出来て、潮の逆流を防いでいる。子どもの頃には、和気全体がたびたび湖のようになり、それが引くと、跡はじゅるたんぼになって、ぽっちゃんトイレから流れ出た糞尿のにおいが、あたり一面を包んだものである。
さて大川に戻るが、中流下流の多くには、葦の群生があちこちに見られた。昔は、アシだったのに、悪しに通じて縁起が悪いと、ヨシと呼ぶようになった。似たような言い換えは、他にもある。梨は無しに通じるからと、江戸時代は、ありの実と呼ばれた。するめは、博打で擦るに通じるから、あたりめと呼び変えた。人は縁起を担ぎたがるものよ。
葦は、よしずにしたり、屋根の吹き替えに使ったり、長きに渡って重宝されたが、今は誰も相手にしない。ところが、最近、川の汚染防止作用が見直されている。
葦以外に目立ったのは、キランソウの紫の花である。横に這うように広がるから、川床が青く染まって、いい感じである。別名、ジゴクノカマノフタらしいが、えげつない名前である。そもそも、子どもの頃から、紫や青い花が好きだった。オオイヌノフグリ、ワスレナグサ、ツユクサ、リンドウ、イソトマなど、青ければ良し☆である。
さて、和気浜漁港から、久万川を上ってみよう。和気小学校中央橋⑤は、体育の授業をボイコットして、潜伏した懐かしい橋である。このあたりは、大渕と言って、深い淵があり、近づくと「カッパに足を引きずり込まれるぞ」と脅された。低地なので、他にも長渕という湧水池もあり、子ども心には怖くて近寄れなかった。もう、それらは跡形も見られない。
久万川は、自然が残り、久枝地区あたりをゆったりと上って行く⑥。ここは、紹介サイトがあるので、そちらを覗いてみてください。(→久万川風景)
地域の人たちの地道な活動のおかげで、久万川>大川がはるかに自然が残されている。
当たり前だが、上流に従って川幅は細くなり、街中に消えそうになって行く。なんと、最後はニトリの駐車場に行き当たってしまった⑦。似鳥社長…汚染水を流すなよ~。
人に言わせれば、汚いどぶ川だけど、そこを辿りながら、自分の来し方を考えるきっかけになった。どうやら、そばに流れている川にも、水鳥や草木にも目を止めることなく、生き急いで来たようだ。周りの空気も読まず、孤立無援の人生だった。ゆとりとか遊びとか、あまりにも無さすぎじゃあ。もう遅すぎるけど、今は雑草の一つ、草花の一つさえいとおしい気持ちになるし、小さな川の流れを見て、哀愁を覚えるようになった。
『孤独の河』作詞:石本美由紀/作曲:遠藤実/歌唱:北原謙二(昭和39年)
花を浮かべて はるばると
流れる河は寂しかろ
俺も孤独な旅姿
水に映して月を見る
人を待つ身はつらいもの
待たれているは尚つらい
待ちも待たれもしない身の
ひとりぼっちは泣けるだけ
白く河原に咲く花を
わすれな草と誰が呼ぶ
恋もあの子も思い出も
おれは忘れはしないのに