(146)・・・西郷輝彦・・・
昭和22年亥年生まれ。最も子どもの多かった「団塊の世代」※を、競争するように生きた「戦友」でもある。西郷の死は、思いのほか悲しかった。
横綱の輪島、ゴルフのジャンボ尾崎、F1の星野一義、将棋の中原誠名人、宇宙人鳩山由紀夫、世界の盗塁王福本豊、草魂鈴木啓司、鉄人衣笠祥雄、カミソリシュート平松政次…布施明、千昌夫、ちあきなおみ、森進一など数えればきりがない。同じ時代に生き、山あり谷ありを乗り越えて、一緒に生きて来た感じがする。(敢えて、ビートたけしは入れない)
日本中が貧しく、小学校に入る頃は、まだテレビが電器屋さんにしか無かった時代。伊予がすりの着物に、福助の足袋を履き、下駄で走っていた時代であり、舗装していない道には、馬車が行き交い、大きな馬糞が臭かった。下駄の歯に、石が挟まっては、よく難儀したものである。。
生徒の数が多すぎて、教室の最後列は、壁に引っ付き、後に人が立てないので、参観日には、親が廊下からのぞき込んでいた。どこの家にも同級生が居て、お寺の境内は子どもで溢れ、遊び場の取り合いだった。
「君だけを」「十七歳のこの胸に」「星空のあいつ」「星娘」「十代の涙」「涙になりたい」「我が青春」「潮風が吹き抜ける町」など、特別にファンではなかったが、どの歌も自然に覚えている。「星のフラメンコ」以外は、好きな歌が多い。
誰も知らない曲(B面)ファンなので、「湖に行こうよ」「思い出を君にかえそう」「赤い花」が、僕のベスト3である。いつも孤独だったが、突っ張り気分で口ずさんだ歌が、「赤い花」だった。
『赤い花』作詞:水島哲 作曲:北原じゅん(昭和40年2月)
一 春に背いて散る花びらを
背に受け行こうひとり旅
流れる雲のその又果てに
何が待つのかこの俺を
二 思い出さすな夜空の星よ
深いひとみの面影を
道なき道をふみしめ今日も
たどる心よ強くあれ
三 ゆうべ見た夢ふるさとの夢
髪に一輪赤い花
こぼれる涙とばしておくれ
帰るあてないひとり旅
※(追記)団塊の世代
戦争が終わり、貧しくとも平和な時代が到来して、一挙に子供が増えた世代。今のように、表面的には平和でも、子どもを産まない(産めない)時代は、暗い時代である。今の方が、経済的には豊かだろうが、誰もが不安にさいなまれ、未来を展望できないから、子どもは減り続けるだろう。
プーチンの侵略で、またぞろ、核には核、軍事力には軍事力で…という短絡思考が流行りそうだが、それなら、プーチンと同じレベルである。核兵器はもちろん、すべての兵器は要らない。あらゆる戦争に反対!軍国主義、専制政治に反対!日米軍事同盟に反対!
日本も、一党独裁国家に近いのに、皆のんきすぎるぞな。