(164)・・・街の本屋さん・・・
松山は、小さな地方都市だが、アーケード街だけは、昔から立派だった。松山市駅に着くと、いよてつ高島屋(昔は、そごう)があり、そこから、まつちか(地下街)を抜けると、銀天街が続く。90度曲がると、大街道商店街があり、以前は車が通行可だった。そして、出口に三越がある。
銀天街にも大街道にも、本屋が何軒もあり、レコード屋も多かった。トップは、明屋であり、本店が銀天街に、支店が大街道にあった。ライバルは、丸三書店に緑星堂。昔から、トップが嫌いなので、丸三書店派だったが、新書など買えなかったから、立ち読みして、頭に入れることを覚えた。
本屋に行くのは、家の物置から、古本を盗んで売る為だった。遊ぶ金など与えられない家だったから、このくらいは仕方がない。古本屋も、明屋古書部、愛媛堂、坊ちゃん書房などが競っていたので、いいカネで売れたのである。手に入れた金で、本を買うなら、まだ立派だろうが、ほとんどを古レコードに注ぎ込んだ。明屋古書部には、高価なLPレコードが、クラシック、ジャズなどぎっしりと並び、いつも客でいっぱいだった。
僕は、ビートルズやタイガースにも拒絶感があり、特に、アメリカ文化を嫌悪した愛国少年?だった。買い集めたのは、袋もジャケットも歌詞カードすら無い、裸のドーナツ盤歌謡曲ばかり。誰も知らない自分なりの名曲を、ほとんど1枚10円で買い集めた。ヒット曲など全く興味が無かったのだ。
幼い頃には、手回しの蓄音機。その後は、小さな電気蓄音機でレコードを聴いた。ドーナツ盤が痛んでいて、時々針が飛ぶようじゃないと、価値を感じなかった。だから、レコード盤を拭いて綺麗にするなどという野暮はしない。ザラザラと雑音交じりに聞く歌謡曲こそが、宝物だったのだ。
本屋は、立ち読み&古本売り&古レコード探しの場所だったが、大して用事も無いのに、いつもよく行った。平成から令和に至り、それらが、1軒、また1軒と潰れ、知らぬ間に無くなって行ったことすら、知らなかった。3月に、最後の明屋本店が銀天街から消えて、街の本屋さんは皆無になった。その前に、レコード店も0になっている。
時代を惜しみ、昔を懐かしがるのは、年老いた証拠だろう。子どもの頃から、本を読まない(読めない)ので、普通の本屋好きとは少し違う。以前にも書いたが、軽い視覚認知障害があって、行を追えない。飛ばしてしまう。文字や文章が頭に入らない。親から、「根気が無いけんいかんのじゃ」「落ち着きが無いけん、ちぃと真面目にお読みや」など、よく叱られた。本というものを最後まで読んだことがないから、教養が無いのも仕方がない!(と、開き直り…)。
最後の明屋本店が、郊外に移転し、今や、アーケード街には空き店舗が目立つようになった。道後温泉と松山城が、昔と変わらないから、余計に時間が止まって見えるが、実際には、何もかもが変わって行き、何かが失われている。
不思議なことに、本屋だけは得意の万引きをやらなかった。スーパー、文具店、駄菓子屋など、なんでも攻略したのに、今から考えると何故だか分からない。少し残念である。こんなことばかり考える自分のオツムも、あの頃から何にも変わっていない。「ほうよ、ほうよ、わしはおせ(おとな)にはなりとうないんじゃ」は、10代の頃からの口癖だったなぁ。