(23)・・・あゝ病棟の夜は更けて①・・・

年寄りの昔話ばかりで、恐縮だが、精神病院の昔を辿るのは、それなりに意味がある。
古い精神病院には、物静かな人たちが多く居て、それぞれにマイペースに暮らしていた。

引き取り手も無く、また本人も脱走すらしようとせず、淡々と何十年かの日々を過ごしていたのだ。

中学の時に、クラスから突然居なくなった同級生にも出会ったし、先輩にもたくさん出会った。昔のまま、当時の教科書を真っ黒になるまで読み、ノートを取り続ける日々…。
「わしゃ、東大に行くんじゃがな」と、皆が皆、言っていたのが忘れられない。

昔は、病棟の掃除も入院患者の仕事であり、ごみを集めて捨てる者、雑巾がけだけをやる者、そして、窓を拭くのにご執心だった人たち。農園作業といって、病院内の田畑に毎日出かけ、黙々と働いていた人たちも、たくさん居た。

診察場面では、病棟の70人くらいをいっぺんに診るので、先輩医師たちは、1人10秒程度の早業で、あっという間に済ませてしまう。中には、聴診器をおでこに当てて、「はい、よし」…これを長年続けている古参医者も居たのである。入院患者たちも、座るとすぐにおでこを出すのだから、阿吽の呼吸である。

僕が、その後釜になった時、張り切って問診しても、皆が皆、寡黙であり、多くは語らなかった。むしろ、あれこれ掘り返されるのを迷惑そうにする人ばかりだったので、寧ろこちらが、疎外感ばかり味わうことになる。

当時は、アルコールや覚醒剤を除くと、入院患者は、全員が「精神分裂病」だった。
ところが、医者たちの中には、学究肌が居たり、細部にこだわる変人医者も居て、様々な診断名がカルテに書かれていたのである。

 なにしろ、多くの古い患者たちには、幻聴も妄想も無く、興奮も不穏も無い。当初はそれを、「精神分裂病 単純型」だと教えられた。次に、「境界例」という言葉が登場し、要するに、健常と分裂病の境目だと言いたかったらしい。その次に、「微細脳損傷症候群」だと言って、何かは見えないが、脳に傷があるのだ…とう説が、まことしやかに説明された。

 そういう中でも、たまに何かの拍子で、大暴れし、注射や電気をされて、薬漬けになり、「精神病質」…つまり「人格障害」概念が、診断名に登場することになる。

話は戻るが、慎重派の医者たちは、多くの物静かな患者たちに対して、コントミン50㎎とか、ニューレプチル50㎎、ナーベン(今は無い)を10㎎やオーラップ1㎎(いずれも1日量)…という処方をしていた。
周囲の患者は、コントミン1000㎎とか、出始めのセレネース18㎎とかの時代である。
まるで、何も処方しないわけにはいかないので、仕方なく、少量処方をした…という感じだった。決して、セレネースは出さなかったのだ。

 詳しい方なら、もうお分かりだろう。
我々精神科医は、カナーの自閉症は知っていても、アスペルガーは知らなかった。しかし、自閉的で、こだわりが強く、同一性保持行動がある人たちこそ、発達障害だったのだ。

そうすると、思慮深い医師たちが、オーラップやニューレプチルを(しかも少量)使っていたのは、昨今の先進的発達障害専門医の処方に繋がり、いかにも興味深い。
そして、詳しい記憶は無いが、もし大雑把な医師が居て、セレネースや抗うつ剤を使ったとしたら、大興奮、大暴れが起こっただろう。その結果、診断名すら変わり、重い処方になって行ったとしたら、全てに辻褄が合うのである。ジストニア、ジスキネジア、アカシジアなどのまま、よだれや震えの目立つ「重い精神病者」が作られて行ったとしたら、今の精神病院の光景は、決して昔話ではなくなるだろう。

例え、とんちんかんでも、分裂病とは違う診断を探求したような視点が、今の精神科医にあるだろうか?答えは、否である。「統合失調症」という安易な診断名が登場したおかげで、何でもかんでも「統合失調症」という「病名の屑籠」に放り込み、安易なジプレキサ処方やデポー注射に走っている…そんな精神医療を誰も告発しないし、見直しの議論は、当事者や家族にはあっても、ボンクラ精神科医の中からは、全く聞こえて来ないのだ。

自分の妄想として、精神病院に戻りたいといつも言うのは、これを確かめてみたいから…。どうしても、「統合失調症」としか診断できない人が、何人いるだろうか?
限りなく、0に近いはずだし、だから、誰も良くならない。誰もが悪くなって帰って来るのは、診断の初めから間違っているからだろう。

(出典:精神病棟40年 – 時東一郎著)