(60)・・・新聞部・・・
愛光8期生なので、創成期は、クラブ活動無し。丸坊主で、女人禁制。カバンじゃなく、黒い風呂敷で通学していた。そのうち、徐々に部活が許されるようになって、中学3年に新聞部が出来、入部した。確か、新聞部二期生である。
いろんな裏取材をして、学校の内部情報を書いたり、学則批判など出来ると思っていたが、全く甘かった。部長など先輩たちは、顧問の教師と一体である。記事の予定を出して来るのは、教師の方であり、書いてはチェック、書いてはチェックだから、何もかも八百長新聞である、
出版前には、ゲラ刷りをチェックしたり、校正の為に、松山印刷(もう潰れてしまった)に出かけた。当時は、凸版(活版)印刷で、大量に並べられた活字(漢字、ひらがな、カタカナ、数字など)の中から、一個一個拾って歩き、組版に整えて行く。当時の職人の早業に驚き、その苦労が凄まじく感じられた。
修学旅行や運動会の記事が出たら、次の発行までは何もなく、ただ、ブラブラして、トランプをしたり、編集机を広げて、卓球に明け暮れた。そんなつまらぬ新聞部だったが、将来はジャーナリストという夢があったから、そこそこ参考にはなったのである。
高1になって、2年下の10期生に、おもろい奴が入部して来て、そいつとよく遊んだ。弟の同級生だが、その頃、僕とは馬が合った。
のちに、このおもろい男、玉置泰は、親の跡目を継いで、一六本舗の社長になる。松山あたりでは有名で、スーパーセブンスターやネッツトヨタの経営者でもある。
一六タルトのCMに際し、松山出身の伊丹十三と知り合い、その後、プロデューサーとして、「お葬式」「たんぽぽ」「マルサの女」「あげまん」などの映画をヒットさせた。
今は、住む世界が違ってしまったが、彼の、子どもの頃からの発想力が、伊丹十三の才気と合体して、良い映画を作ったのだと思う。加えて、昔の一六タルトの松山弁コマーシャルは、今でも語り継がれる大ヒット(ただし、ローカル)になった。同じく、伊丹十三、作、主演である。もう最近の松山人には、解読不能だろう。
以下、大好きなものを、記憶を手繰り寄せながら、4つほど。
1)「もんたかや。まあ一六のタルトでもお上がりや。ほてしぇーしぇきは、どうじゃったんぞ。
どげかや。ほらお前がのふぞおなけんよ。つばえてぎりおったんじゃろが。残念なねや。
もう残念からげるぞよ。まあせえ出してタルトでも食べることよ。」
(戻ったかい。まあ一六タルトでも食べなさい。それで成績はどうだったんだい。
ビリかい。それはお前が怠けているからだよ。ふざけてばかりいたんだろう。
残念だなあ。残念でしかたない。まあ精を出してタルトでも食べることだ)。
2)「まあ泣かんでもよかろがね。ほう、兄ちゃんらに、はせだにされたんか?
ほう、よだれくりじゃの言うたんか?ほりゃ兄ちゃんが悪い。
兄ちゃんの方が、よわみそじゃ。よしよし、おいさんがタルトをやるけん、もうお泣きな」
(まあ泣かなくてもよかろう?そうか、兄ちゃんらに仲間外れにされたんか?
そうか、よだれ垂らしだのと言ったのか?それは、兄ちゃんが良くない。
兄ちゃんの方が、弱虫だ。よしよし、おじさんがタルトをあげるから、もう泣くのはやめなさい)
3)「おい、タルトを一切れ持って来んかな。何しよんぞ、もう切れとるがな。
はぐるだけでええんじゃが。あぁあぁ、荒かましいねや。タルトがめげてしまいよろがな。
もうええ、わしがするけれ、おまえは一生タルトにはまがられん」
「よいよい、ほがいにおらばいでもよかろがね。おっとろしぃ、たまげたねや」
(タルトを一切れ持って来ないか?何をしているのだ、もう切れているぞ。
はがすだけで、いいんよ。あぁあぁ、荒っぽいなぁ。タルトが崩れてしまいそうだ。
もういい、私がするので。おまえは、一生タルトには触らないようにな)
(あぁあ、そんなに大声を出さなくてもいいだろう?こわいよ、びっくりしたなあ)
4)まあお聞きや。どうててこうてて、わしゃたまげたぞよ。
どがいにもこがいにも、よいよいじゃが。
こんながねゃ、一六のタルト送ってきたんじゃが。
ほよほよ、あのよもだぎり言いよるんが、お前、一六のタルトぞ。
わしゃもう、おっとろしいかぃ。
(まあ聞いてよ。どう言ったらいいのか、僕はびっくりしたよ。
どうにもこうにも、よくわからん。
あの男がなぁ、一六のタルトを送って来たんだよ。
そうそう、あのええ加減なことばかり言っている男が、お前、一六のタルトだよ。
僕は、もうこわいくらいだよ)