(33)・・・関西汽船・・・
意外に思うだろうが、昔から、松山の隣町に神戸があるという印象だった。
それは、松山と中突堤(ポートタワー)の間に、関西汽船が走っていたからだろう。
(正確には、大阪~神戸〜松山~別府)
最初は、予讃線に揺られて、蒸気機関車で神戸に行った。
朝6時頃に、伊予和気駅を出て、昼頃に宇高連絡船に乗り、神戸に着くのは日暮れ時だった。あまりにきついので、途中からは、夜行便の関西汽船。
当時は、学割で¥880だったが、船底でギューギュー詰めになって寝るのだから、眠れたことは無い。暑い夏は、甲板で寝ていたが、蚊に刺されて、悲惨だった。
当たり前の話だが、船に乗る人は皆、「じゃけん」「じゃけん」と伊予弁ばかり。
和気の知り合いにも会ったし、後に精神病院で知り合いになるヤクザにも、面倒を見てもらった。案外と、喧嘩やもめごとは少なく、「学生さん、勉強をせんといかんぞな」と、優しい人が多くて、弁当やミカンをよく貰ったのを覚えている。当時は、きついだけの船旅だったが、今となれば懐かしい。
石川啄木の有名な詩。「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」
ずっと神戸に馴染めなかったから、この一句が、心に沁みたものだった。
それを感じる為に、いや、野球狂だったから、甲子園にも毎日のように通った。
西条高校、新居浜商、松山商、今治西などが登場する日のアルプススタンドには、
松山弁の、じゃけん言葉が溢れていた。
震災後の神戸に、一度だけ行った事がある。何もかもが変わったようで、変わっていないのは、ポートタワーと六甲山だけ…そんな景色を今も覚えている。