(121)・・・仲間たち・・・
小学校に入る前から、傍若無人であり、多動児だったから、いつも誰かと遊んでいた。厳格な両親は、とことん締め付けてきたが、隙を見つけては飛び出し、殴られてもまた同じことをやった。
いつも、取り巻きが居て、お山の大将だったが、それは、勉強が出来たのと、「お医者さんの子ども」だったから。上級生になって、皆がガキじゃなくなって行くにつれ、そのメッキも剥げて、卒業前には、完全に孤立していた(本人には自覚が無い)。
修学旅行の写真には、誰かと映ったものが無く、集合写真に小さく見つけられる程度だった。おまけに、地元の中学に進まず、「受験校」に汽車で通うことになり、道で会っても、誰も口を利かなくなった。
お山の大将でも、「和気村の神童」でも、愛光中学の受験成績が、118番(200人中)だったから、天狗の鼻もへし折られてしまう。(愛媛大)付属小や番町小出身など、既に英語を話す奴もいて、レベルが違っていたのだ。
とはいえ、1年生の二学期には、トップ10の常連に入り、「やっぱり、こいつらたいしたことないわい」と、また態度がでかくなる。見かけ上の友達は多く、いたずらの常習で、「こらっ、りゅう!」と怒られても、規則違反を繰り返した。授業を抜け出して、三越の屋上まで自転車で出かけ、ポップコーンを食べに行ったり、近所の火事を見に行って帰らなかったり…その度に、朝礼台の上で正座をするのが常だった。
夏には、島のキャンプに出掛けたが、親が認めないので、「〇〇君とこで、泊まり込みの合宿をやるけん」と嘘をついて出たものの、真っ黒に日焼けし、砂だらけで帰ったから、バレないわけがない。
そうやって、成績だけは優等生の中学時代が過ぎ、高校1年の夏休みに、何かわからないが、心中に急激な変化が起こった。その「何か」を詳しく思い出せないのだが、とにかく「何か」がプツンと音を立てて切れた気がする。
その夏から、一切の勉強は放棄し、売れる参考書は古本屋に売り飛ばして、古レコードを買ったりした。自然に、いつもの友達(のちに、ほとんどが東大に行った)から離れ、一人でいることが増えて行った。もう自分には、人生のレールが敷かれていて、そこから脱線することは不可能だと考えた。のちに精一杯の抵抗を試みたけど、金を握られている以上、勝ち目は無かった。そうやって、徐々に新聞記者の夢が遠くなり、坂口安吾や太宰治に関心が向かうようになる。
花札や百人一首、オリンピックトトカルチョにうつつを抜かしながら、退廃の高校生活は、砂漠を歩くようだった。卒業時の成績は、128番(168人中)で、何もかもどうでもいい心境の中、唯一の友人が居た。そいつは、白紙で答案を出し続け、成績はどげじゃった。
2人揃っての口癖、「健全ゆえの不健全」「不健全ゆえの健全」…まともな奴は、まともに生きれない。下らぬ奴こそ、この世を平気で生き抜けるのだ。そうやって、健全でもなく、不健全でもない中途半端な十代が過ぎて行った。
小学校の同窓会にも行かない。愛光の同窓会にも行かない。精神科的視点から言えば、「発達障害特性の顕在化」の結果、人付き合いはますます出来なくなった。束縛だらけの家と、逃げる場所さえない孤立が、自分の人間形成を歪めに歪めた。その後の人生を、友人を持たずに過ごし、家族関係すら煩わしく、「家」のすべてを放棄した。
「仲間たち」が居なかったから、「仲間たち」♪(高1の秋、S38年発売)に憧れたけど、実際には、自分には難しい世界だと、今なら分かる。
『仲間たち』 作曲:遠藤実 作詞:西沢爽 歌唱:舟木一夫
歌をうたって いたあいつ
下駄を鳴らして いたあいつ
思い出すのは 故郷の道を
みんな一緒に はなれずに
ゆこうといった 仲間たち
帽子まるめて いるあいつ
リンゴ噛って いるあいつ
記念写真は とぼけていても
肩をならべた ツメエリにゃ
夢をだいてた 仲間たち
手紙よこせと いうあいつ
あばよあばよと いうあいつ
口じゃ元気に どなったくせに
ぼくが故郷を たつ朝は
涙ぐんでた 仲間たち