(204)・・・頭が悪いけん・・・  

 最近、子どもたちからよく聞く言葉が気になるなぁ。「僕(私)は、頭悪いけん」という自信の無い一言である。もちろん、「他と比べたら、勉強が出来ない」という意味に過ぎないのだが、子どもの心は卑屈になっている。

 頭が良い、悪いは、一般的にはIQ(知能指数)で言うのだろうが、これには検査方法がいくつもあって、やり方により数字は違って来る。どの検査を、どんな環境でやるのか?どういう気分でやるのか?その度に違ってくるのは、当然だろう。

 よく「血液型占い」が流行って、「やっぱり私はB型ぞな」「O型らしい性格じゃなあ」などと言うが、血液型にも、ABO式以外にRh式、MN式など、20種類以上あるから、そう単純じゃないんよ。あゝいうものも、カルトであり、占いそのものが詐欺行為じゃけんな。

 話は戻るが、知能検査にも色々なものがあり、有名なのは、ウェクスラー検査である。ウェクスラー検査には、<大人用;WAIS、子ども用;WISC、幼児用;WPPSI>の3つがある。

例えば、WAIS検査で数字を出すのだが、その中に、主な4つの指標機能がある。

  1. 言語理解(言葉を用いて、物事の概念を理解し、表現する力) 
  2. 知覚推理(視覚情報を正確に捉え、理解し、表現する力) 
  3. ワーキングメモリー(聴覚情報を短時間記憶し、操作する力) 
  4. 処理速度(視覚情報を正確に捉え、素早く処理する力)である。

 これ以外に、10の下位検査と5つの補助検査があって、それらから、総合的なIQや、①から④までの能力を弾き出すのである。どのくらいのハンディがあるのか?どの部分が弱く、どこに配慮が要るのか?そういう使い方をすれば、有意義にもなる。

 IQとして頭がいいのは、120とか130以上になる。逆に、80以下だとボーダーライン、70以下だと知的障害という事になって来る。発達障害と言われる場合、例えば①が120なのに、③が90しかないとか、凸凹が大きい。凸凹は、誰にも多少はあるので(スペクトラム)、人は皆、発達障害である。

 中学高校時代を振り返っても、誰もが凸凹人間だった。雄弁でよくしゃべり、誰もかも相手に論破するけど、空気が読めない奴。訥弁でほとんどしゃべらないが、ノートを持たず、教師の話を片っ端から覚えて、全部記憶してしまう奴。教科書以外に友達が居らず、教科書を頭から丸暗記するのが得意な奴。とにかく、いろんな奴が居て、それなりに成績は優秀だったし、多くが東大に行った。しかし、申し訳ないが、どいつもバカで、本当に頭がええ奴など滅多に居なかった。ただ、勉強が出来ただけじゃ。

 「東大に行くんはバカじゃけん」「意味の無い勉強に労力を割くのは、無駄じゃけん」…本当に頭のええ奴は、つまらぬ勉強などしなかった。

 話が脱線しかけとるわい。要するに、知能検査で頭の良し悪しなど分からない。まして、学校の試験が出来ても出来なかっても、どうでもええことじゃ。

 絵がうまい奴も居るし、ギターがうまいのも居る。野球が素晴らしい奴も居るけん、人間の価値など「検査での能力」では決まらんぞ。

 テレビやネット業界には、「頭がええ人」が登場し、相手を論破し、得意そうにしているバカが居る。そういう連中の口癖は、「あんた、頭が悪いんじゃねぇ?」である。

 まず、口数が多く、相手にまともに喋らせないで、「勝った」気になる奴。ハシシタが典型だろう。中身は、話のすり替え、人の問いには的外し、あとは蟹が泡を吹くようにワァワァしゃべり倒して、相手に喋る時間を与えない。相手の土俵に上がったら、自信が無いので、無理矢理自分の土俵で斗おうとし、行き詰まったら、「あんた、頭がわるいんじゃねぇ?」と逃げる。

 似たタイプが、竹中平蔵。自分の土俵にしか立たず、相手の話は聞かない。というより、聞いても理解する能力が欠如しているから、噛み合うことが無い。こいつも、自分の話が理解できない奴は、「頭が悪いんでしょう?」…で片づけてしまう。自分が、いかに世に中を知らないか?人々の生活実態を知らないか?要するに、自分のバカさ加減に、死ぬまで気が付かない。

 次に、2chの西村ひろゆき。こいつは、膨大な記憶力で、数字を取り出して、それで相手を煙に巻く。人の話を聞いて、理解する能力もあるから、一応話は噛み合うことも多い。ただ、フランスに住み、SNSの世界の住人だから、始めから依って立つ場所が違っている。その根本が分かってないので、「論破王」などと言われても、実力は「よその世界」での話である。いわゆる「空理空論王」と言えるだろう。

 最後に、「頭がわるいんじゃねぇ?」を最も連発するバカは、堀江貴文(ホリエモン)である。典型的な東大OBの頭で、社会的には人間のクズ。自分が、どれだけおバカさんか?ツユほども疑っていないから、相当なバカである。その前に、滑舌を治して、幼児語を卒業するのが先じゃわい。ゼニ儲けがうまいのは、竹中同様だが、カネに対する嗅覚がハイエナのようであり、その能力は、恥にはなっても自慢にはならんぞな。

 何度も話を繰り返すが、「頭がええ」「頭が悪い」は、くだらぬ問題である。学校の試験の出来不出来なんぞ、人間の価値の何百分の1に過ぎない。こんなことに気を取られ、卑屈になるのは勿体ないよ。世の中には、アタマが優秀でも、人間的には屑…という連中がウジャウジャ居る。世間の風潮に惑わさたらいかん。学校の教師に洗脳されたらあかんぞな。我が道を、堂々と生きよう。

 誰もが不完全な人間。誰にも弱点がある。それを謙虚に自覚出来ている者こそ、マトモな人間じゃわいな。そして、そういう謙虚さがあれば、人の痛みや哀しみに共感できる。人の心に寄り添えること以上に素晴らしい能力は無い。

 もう一度繰り返すぜ。自分がバカだと分かっているやつは、賢い。人の痛みや哀しみに寄り添えるやつこそ、聡明な人間じゃけんな。

 気分転換に一六タルトのコマーシャルを思い出せや。おおらかな時代じゃったのう。

「もんたかや。まあ一六のタルトでもお上がりや。ほてしぇーしぇきは、どうじゃったんぞ。
 どげかや。ほらお前がのふぞおなけんよ。つばえてぎりおったんじゃろが。残念なねや。
 もう残念からげるぞよ。まあせえ出してタルトでも食べることよ。」

(戻ったかい。まあ一六タルトでも食べなさい。それで成績はどうだったんだい。
 ビリかい。それはお前が怠けているからだよ。ふざけてばかりいたんだろう。
 残念だなあ。残念でしかたない。まあ精を出してタルトでも食べることだ)。

(出典:イラストAC