(43)・・・なんで生きとるんぞな?・・・

 物心ついて以来、宗教心のかけらも無いが、目の前には、悩み苦しむ人が多く、「わたしら、なんで生きとんですか?」と度々聞かれるから、出来るだけ誠実に答えようとしている。

 「何の予定も因果も無く、偶然生まれた命じゃけん、瞬く間に、何の意味も理由も無く死んで行くんじゃがな」「それじゃ、あんまり虚しすぎるけん、人間は、それに意味を後付けしたり、前世や来世をこしらえて、不安じゃないように誤魔化す装置(宗教)を作ったんよ」「宗教は、阿片じゃけん、よおに酔うとりゃ、苦痛が少ないかもしれんのう」「阿片も、疑いだして目が覚めた時、離脱症状が苦しいんぞな」

 そうすると、「それを聞いたら、余計に生きとる元気が出んがな。何を頼って生きたらええんぞな」と聞かれるし、次に、「生きとって、何を大事にしたらええんぞな?」とも聞かれたりする。
「よいよい、ボケた主治医に、難しい哲学論争仕掛けるとは、難儀じゃのう」
 孔子は、弟子から「最も大事なものは何ですか?」と聞かれ、「ほりゃ恕(おもいやり)に決まっとるがな」と答えたらしい。論語というんは、道徳の教科書みたいなもんじゃ。 

キリストなら、愛だとか、神の救いを信じなさいとか言うだろう。無償の愛(アガペー)と聞いて以来、アカンベーしか浮かばない。隣人愛だと言いながら、異教徒を虐殺し続け、挙句、懺悔して許しを請う・・ははは、都合のええ宗教じゃ。

 釈迦は何と言うんじゃろ?「諸行無常の移ろいやすい世の中じゃけん、悟りこそ大事ぞな」と言うに決まっとる。「わしら凡人が、修行どころか、よもだぎりしよって、悟れるわけがなかろがな」
「大事なものは、人によって違うんぞな。時により、また変わるんよ」「わしら凡人は、さまよいながら生きとんじゃけん、それでええんじゃがな」

さてさて、さまよいながら、自分はどう生きて来ただろう?人に答えられるようなものは無いが、敢えて言うなら、今は、老いとの斗い、体の痛みとの斗い、悪い足や眼との斗いばかり。これじゃつまらんけん、ええ格好言うなら、不条理との斗い・・斗いがもちべーしょんじゃがな。許せん奴は、絶対に許さんぞな。ほうよ、ほうよ、斗いが、メシより大好物ぞな。

(出典:イラストAC