(62)・・・野球部・・・

 昔は、遊ぶと言えば野球しかなかった。徐々に流行らなくなったが、真夏のカンカン照りの中でも、雪がちらついても、野球(の真似事)をしていた。5人くらい好きなのが居て、極端に言えば、3人居れば出来るのだ。投手、守備、打者である。

 その中でも、相当へたくそだったが、僕にはそんなことどうでもいい。大学に入って、医学部野球部(準硬式)に入ると決めていた。準硬式とは、硬式球の皮の部分がゴムになっているもの、俗にトップボールと言った。指にかかりがいいので、素人でも変化球が投げやすい。

 「入りたいんですけど」「おう、高校では、どこ守っとったんや?」「いや、野球部は初めてです」「はぁ?まあええわい。球拾いでもかまんか?」「はい、ありがとうございます」
 そうして、背番号2のユニフォームを呉れたのが、一日目。

 それから、球拾いを始めたのだが、もちろん、守備練習もある。しかし、外野フライの10本中2本しか取れない。「今度は、内野に来い」と言われてノックを受けるのだが、ファンブル、トンネルなど、1本も取れない。打撃練習では、10本中の1本も前には飛ばなかった。

 後で聞くと、ほぼ全員が硬式野球部出身で、兵庫県大会ベスト8とか、大阪大会ベスト16とかの経験者もおり、こりゃいかんわ…。その後、医学部の対抗戦で、大阪医大、関西医大、岡山大などと試合をすると、どのチームにも、一人二人、甲子園経験者が居る。自分のチームでも、OBの内科医に、報徳や育英相手に、甲子園まであと2勝まで行った剛球投手が居たりした。

 山登りのランニングでも、ビリ。うさぎ跳びでもビリ。そんな毎日が始まったのだが、とうとう本格的に野球が出来て、大喜びだったから、「おどりゃあぁ、へたくそ!!」とか、「ボケ~なにしよんねん!」と怒鳴られまくったが、平気だった。

 そうこうするうちに、少しづつ上達し、ランニングやうさぎ跳びでは、1、2を争うようになり、守備もサマになって行った。打撃練習でも、バットに当たるようになり、練習試合では代打に出してもらって、凡フライ、凡ゴロばかりだったが、大満足だった。最終打率は、.000。うまいやつは、1年からレギュラーになるが、多くは3年くらいでレギュラーが取れる。自分一人は、万年補欠、万年ベンチで、用具係をやっていた。

 高砂球場の夏合宿では、補欠は皆、飯炊きであり、用具の手入れ、便所掃除など、とてもじゃないが忙しい。5年、6年生は、差し入れに来たOBの医者たちと、毎晩ビールを飲んで、騒いでいた。便所掃除が終わると、「きれいになったんか?舐めてみい」と毎晩言われて、尻込みする連中の代わりに、僕が舐めて見せた。汚いものが得意だったので、こういう時は助かった。

 そのうち、打撃投手の役目が回って来るようになった。一人10球でも、20人なら200球。コントロールが良かったのと、肩が目減りしてなかったから、なんぼでも投げて重宝がられた。それだけ投げていると、球が速くなり、本気で投げると先輩たちが必死になる。それが面白くて、打撃投手でも打たれにくくなって行った。

 1年先輩にKさんという陽気な男が居たのだが、主将でも副主将でもない5年生の先輩ボスが、執拗にKさんを可愛がり(≒いじめのこと)、真夜中に目が覚めると、「おい、K。バットの素振りをやれ!」と絡み始め、練習中にエラーをすると、「3㎞走って来い!」と怒鳴り散らすのだ。皆がどう思っていたのか分からないが、表面的には、そのボス先輩のやりたい放題で、誰もが笑顔で合わせていた。

 そういうのが許せない性質たちなので、ある日とうとう、「やめませんか。こんな医学部ごときの野球部で、かわいがりなんかサマにならんですよ」「なにぃ!もういっぺん言うて見い」「何回でも言いますよ。もうつまらんことはやめにしましょう」「おどれ、外に出い!わしをなめとんか!」と、おおもめになったが、その時は主将が止めに入って事なきを得た。それから、徐々にひどいことは無くなり、そのボスは最後まで、僕と目を合わせようとはしなかった。

 痩せてひょろひょろ、腕力なんか無かったから、喧嘩で勝てるわけがない。しかし、いつもながら、怖いもの知らずで、やる気満々で向かって行くから、負けたことも無い。気合だけの男だった。

さて、そんな弱い弱い野球部で、4年になってもまだ補欠。しかし、5年生になったら、二塁のレギュラーが約束されていたある日、岡山大との定期戦で、岡山行きの山陽本線に乗った。そこで、ある先輩が、「笠はいつまでたっても球拾い、おまえ、マゾなんか?」とからかって来た。「もういっぺん、言うてみい」…そこでとうとう爆発を起こし、大勢の客の中でつかみ合いになった。結局、岡山の駅を出ずに、神戸行に乗り換えて、即刻退部届を出し、3年半の野球部生活が一瞬に終わってしまった。

 我慢が足りない、癇癪を起こす、辞める時は一気に辞める…この時が最初かも知れない。その後、医者になって、病院長相手に、このパターンを繰り返した。野球だけはやりたかった。あ~あ。惜しかったなあ。

(出典:イラストAC

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