雑言集…(029)【生涯反抗期】
負けん気は強かったが、喧嘩好きでもなかった。何しろ青白く痩せていて、もやしみたいだから非力だった。
ところが小学校では、いつも勝ってばがり。後日聞くと、皆が「お医者さんの子ども」だから、遠慮していただけ💧
愛光中では、試験の成績を競う優等生になる。愛光高になると、受験教育や切支丹教育、聖トマス像に強烈な反抗心が芽生えた。あれが反抗期と言うなら、以来60年が経つらしい。
大学では、まずは授業に出ない、登校しない。しかし、英語の教師が細かな質問を学生に繰り返して、パワハラ風だと聞き、こちらから質問を延々と先制攻撃して、妨害し尽くした。
生理学の実験では、ミハラという講師が、斎藤元彦みたいに学生に当たり散らす。それで、近くに回って来た時、耳元で「話しがあるけん一緒に教授室に行こや」と凄んで黙らせたこともある。
卒業試験の口頭試問。眼科教授が人格者として評判が良かった。たったそれだけのことで、「そんなん居るかいな?」と、真冬なのに裸足で下駄を履いて行ったら、見事に挑発に乗り。、頭から湯気立てて怒った怒った。試験は当然落とされたけど、気分は爽快だった。
こんな調子で社会に出たから、以来ずっと権威や権力に反抗していないと落ち着かない。
しかし学生時代は、誰しもあるように、死ぬことばかり考えた日々もある
。
坂口安吾の「堕落論」に憧れ、三宮の乞食に弟子入りしたのだが、「青二才!」と一喝され追い出された。
プチブル大学生から、どう脱け出せば良いのか?悩みもがいた。結局6年生になるまで、ジャーナリストへの転向を迷い続け、何の勇気も無く卒業してしまう。
精神病院との斗いや「精神科セカンドオピニオン」では、こちらから喧嘩を仕掛けたことはない。
「こうこうお願いできませんか?」「これだけはやめて頂けませんか?」と、礼節を持って頭を下げるのだが、どの医者もギャーギャーとわめき散らし話にならない。それで、「もういっぺん言うてみい!」とお返ししたり、直接乗り込むから、「もめごと」に発展して行っただけ。
これは精神科に限らない。市内の総合病院や内科開業医からペインクリニックにまで及んだ。
副作用だらけの大量投薬の被害者が次々とやって来るから、放ってはおけない。
うち二つは、厚労省の監査まで引き込んで、長い泥仕合をやったが、「医は算術」医者は未だにくたばらない。
こう考えると負けっぱなしの人生になるが、意外に敗北感は無い。
長い斗いにはなるが、いずれ精神病院も老人施設も伊方原発も立ち行かなくなる。
この喧嘩、負けるはずがないぞな(^_^)V
