(96)・・・あゝ苦しき味酒心療内科・・・

 流しのタコ焼き「タコマート」をやっていた頃、松山精神病院の看護師たちが仲介してくれ、味酒診療所に拾われることになった。

 診療所の1代目は、小児科医。2代目は、内科医。そして跡を継いで、開業する形となった31歳の5月。標榜科目は、内科、精神科としてのスタートだった。

 5階建てのビルのオーナーは、1階の鍼灸院。2階~5階を借り切って、ベッドは30名前後(有床診療所)。鍼灸院のオーナーは、漢方専門家だったが、西洋医学に汚染されていた僕は、当時見向きもしなかった。

 もちろん、内科は素人であり、大学の試験はカンニングで通り抜けただけ。最初は、1日に数名の患者のみで、そこから増やして行った。精神病院時代の患者たちが、「潰れそうじゃけん、わしらが行ったろわい」と、友達を誘って来てくれたほどだった。

 はじめは、内科や小児科の人が多く、向かいの保育園の担当医になったり、医師会の救急当番や休日診療所(どちらも内科)にも出務した。当時、ずっとかかりつけ医だった近所の子供たち(1歳~18歳)が、40~50代の母親になって、最近、不登校の子どもを連れてやって来ることがある。年の流れを感じるなぁ…。

 余談だが、笠醫院いいんは、小児科が専門科目だったらしい。味酒の初期は、小児科が一番多かった。そして、ぐるっと回って、しいのきの今、メインは小児科(児童精神科)である。

 味酒診療所は、味酒内科神経科を経て、味酒心療内科になった。有床診療所だったから、子どもから高齢者、精神病やうつ病から認知症、肺炎や髄膜炎まで、何でもあり、何でも入院可の診療所だった。素人そのものだったから、何から何まで勉強するしかない。夜間救急も受け入れ、往診は毎日でもやった。保護室(防音)も2部屋あったから、急性期の覚せい剤やアルコールの幻覚症も普通に引き受けていた。

 当時は何も考えていなかったが、実は腕利きの事務長が居て、経営、経理、労務から厚生まで、全てを仕切ってくれた。スタッフへの配慮などお構いなしに働いたから、事務長のフォローが無ければ、成り立たなかっただろう。当時の看護師たちも、モーレツに働いてくれた。県や市や医師会など、どこも敵に回して暴れていたので、事務長が尻拭いしてくれなかったら、もっと窮地に立っていただろう。ありがたいことに、事務長からは、何の文句も言われなかった。

 そんな中、入院患者の刺殺事件があって、テレビや新聞に追いかけられても、知らぬ顔して働いた。その頃は、さすがに外来患者が減ったこともある。しかし、誰でもいつでも、日曜診療も正月も診る診療所は、多くの人が出入りして、雑踏のような、野戦病院のような日常だった。泊まり込みの毎日が続き、1年に3回しか風呂に入らぬ年もあった。必然的に、家に帰ることも無く、家庭は崩壊した。

 こんな毎日でも、自分の精神的主戦場は、患者会ごかいであり、古本屋、トイレ掃除、皿洗いなどの当番もこなして、毎日の食事はごかいの300円食堂だった。

 そして、39歳で倒れ、死ぬかと思ったが、3か月入院して復帰した。また、同じように働き、今度はセカンドオピニオン活動に入れ込んで、62歳でまた倒れる。今度は、復帰に5年もかかったが、味酒には戻る力が無く、丸ごと継承してもらった。

何を言いたいかと言えば、要するに馬鹿である。馬鹿は走り出すと止まらない。スピードもコースも変化が無く、一直線に走るから、さすがにイノシシ年生まれである。分かっちゃいるけどやめられない…♪、植木等のスーダラ節をご存知だろうか?

 100名近くの外来を診て、県外からのセカンドを毎日2名は診ていたから、落ち着いて昼飯など食えない。朝は、今と同じで5時から仕事を始める。東温、砥部、松前、北条と、往診先は広がり、体がなんぼあっても足りないのに、新患依頼は、全部引き受けた。

 あちこちに話が飛んで、いつもの、何が言いたいのか分からない文章である。心の乱れが、乱文に拍車をかけている。ごめんなさい。

 僕がどうしても言いたかったこと。いくら一生懸命やっていても、なんぼ頑張っても、それで許されるものじゃない。精神医療は、人の人生を左右する。

 一生懸命で許されるなら、ヒトラーでも安倍晋三でもトランプでも許されてしまう。

 ずっと、自信満々で、皆どうにか治療?にはなっていたから、自己修正をすることが無かった。セカンド活動で、自分の無能力の壁を知るまでは、あれでいいと思っていた。旧来の精神医療の洗脳から、脱出することが出来なかったのだ。

 外来患者がどんどん増える。それは、薬剤依存の患者が、やめるにやめられず、通い続けることを指している。心療内科、精神科において、「卒業」があまりに少ない。「良くなった」(軽快)と、「治った」(治癒)では、月と地球くらいに遠いのだ。
  
 うつ病圏に、抗うつ剤。神経症圏にベンゾ系抗不安薬。これらを当たり前に使っていた結果、「生涯服薬」に近い人を、大量に生んでしまった。その中には、衝動性亢進や脱抑制からの自死が、何人も含まれていたに違いない。

 その場限りの「著効薬」を使えば、薬剤依存になるのは当たり前の話である。薬は、ほんわかと効くくらいでちょうどいい。後は、生き方暮らし方を見直したりしながら、「自ら治って行く」のを見守るのが、精神科医の仕事だと今は思う。

 無知な医者が、熱心で一生懸命は、罪である。「治してみせる」は、傲慢に過ぎない。味酒時代に限らないが、僕は多くの人たちの人生における「加害者」になってしまった。ただただ、この責任において、老病人(おいぼれ)診療を、死ぬまでやめることが出来ない。借金を返しきれないことも分かっているが、返済を続けるしか、他に落とし前のつけようが無いのだ。

あ~あ、笑ってやって下さい。あきれてやって下さい💧

(出典:味酒心療内科

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