(151)・・・黄色い丘・・・

「精神病」者グループごかいは、自立と解放を目指す患者会として、35年間斗い続けた。病者、障害者は、社会復帰や就労を目指すのが常識…という社会の空気を変えたくて、「働かない権利」を主張し、懸命に働いてきたのだ。

 つわものどものが夢の跡…多くの仲間が年老いて、又は病気で亡くなって行き、ごかいの活動は、この世から消えてしまった。そのごかいのシンボルカラーは黄色だった。やくざがヤーサンなら、キチガイはキーサンじゃ…☆。

 先日、その中の生き残りの男から、10年ぶりに電話があった。「ほう、生きとりましたか?わたしも相変わらずですよ」。彼は、帽子も手袋も、ジャンパーもズボンも真っ黄色であり、今も、真っ黄色の自転車で走っているらしい。

 閑話休題。
先日、思い切って、犬寄峠を越えて、はるばる「黄色い丘」まで、出かけてみた。

 小さな丘だが、全体が真っ黄色。菜の花が満開で、例えようもない景色である。鳥や蝶たちが飛び、梅は満開。ミモザはまだ満開手前だったが、オオイヌノフグリやフジバカマなどもさりげなく素晴らしかった。

(因みに、ミモザの花言葉は、「友情、思いやり、秘めた愛」)

 残念ながら、僕の足では、緩い坂なら上れても、下りることが出来ない。危なくて、足の激痛に耐えかね、途中でダウンしてしまった。本当は、蝋梅(ろうばい)、黄水仙など、もっともっと黄色い花があったらしいが、残念じゃ。残念からげるぞよ。

 山奥の小さな村がチャレンジしている村おこしだから、ボランティアが運営し、全てが無料なので、これから人が増えるかもしれない。殺伐とした世の中だが、こういう所に行けば、一息つけますよ。

 これを書きながら思い出したのは、「ひまわり」という映画である。1970年、23歳のある日、ポリクリ(臨床実習)をさぼって、場末の映画館に行った。舞台は、ウクライナのキエフ郊外である。地平線までいっぱいに広がるひまわりの畑が、まさに真っ黄色で、そればかり鮮明に覚えている。主演は、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン。監督は、巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ。音楽が、哀愁のヘンリー・マンシーニである。

 ひまわりは、ロシアにもウクライナにも共通する国花である。あの素晴らしいひまわり畑も、今は戦場になった。誰が今を予想できただろうか?

人は、悲しい生き物である。映画「ひまわり」のテーマは、『愛は、悲しみを乗り越えることが出来るだろうか?』