(12)・・・我がふるさとの城下町・・・

(出典:松岡広宣様)

神戸に8年居ただけで、あとは65年ほど松山で暮らしている。神戸すら、合わなかったから、東京や大阪だと、病気になっていたかも知れない。松山は、ほとんど雪も降らないし、台風も近くを通るだけ。雨が少なく、温暖な気候には違いない。

とは言え、漱石が言ったように、温泉しか無い町である。その温泉も、古いというだけで、湯は熱くて熱くて、客がどんどん回転するようにしているという話もある。地元の人は、ほとんど入ったことは無いだろう。街は、松山城を中心に、城東、城西、城南、城北に分かれている。城北に生まれ育ち、今も暮らしているから、自分は、城北人である。しいのきは、城南。温泉は、城東。狭い町で、半世紀近く仕事をしているのだから、どこに行っても、見かけたことのある人ばかり(中身は思い出せないけど…)。

要するに、精神科と全く無縁な人を探す方が難しいのだ。どの街も、どの路地も、ほとんど往診で走ったから、抜け道や行き止まりまで、何でも知っている。往診専門クリニックなどと言わなくても、30代からは、とことん往診にこだわった。日曜など、朝8時から、日が暮れるまで走っていたこともある。引きこもりの子どもたちから、寝たきりのお年寄りまで、何でもありだった。
支払いがしんどい人には、日曜加算とか往診料など、もちろん請求しなかった。点滴を持って行ったり、内科医の仕事もやったので、自宅で見送った人も多い。人を診るのだから、何科というのは関係ない。そんな愛するふるさとで、生きて、死んで行けるなら、それは幸せなことだと思う。

だけど、愛する…だけじゃなく、例によって文句もある。それは、島国根性、田舎気質である。視野が狭く、広げようとしない。世の中は、松山中心に回っていると勘違いしている。新しいものには、すぐに拒否反応が出てしまう。それも、全てはやんわりと、決してストレートではなく、変化球で拒否される。その中で、自分が直球ばかり投げるから、周囲から浮いたのは当然の帰結だった。誰かさんみたいに、「美しい国土」とは言わないまでも、ここでは、「住みよい愛媛」をアピールしている。温暖で、果物が豊富、新鮮な魚介類など、いいことを挙げれば住みやすいのかも知れない。

しかし、しかしである。ここには、致命的な欠陥がある。中央構造線の真上に建てられた、伊方原発である。南海地震がやって来たら、一巻の終わり。万事休すである。知らんぞな、知らんぞな…。

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