(200)・・・吉田拓郎・・・

 やはり同時代を生きて来た者として、引退は寂しいものである。KinkiKidsとの最後の番組も見たが、老いるということは、なかなか成熟にはつながらず、ともすれば老醜に繋がってしまうものである。あまり、悟ったようにはなってほしくなかったなぁ。

 「イメージの詩」で、「古い船を動かせるのは、古い水夫じゃないだろう」と歌い、音楽性にも人生にも悩んでいた頃には、「人間なんて」「今はまだ人生を語らず」とシャウトして、誰にも共感された。そして、古い芸能界に反逆し、古い歌謡曲にくさびを打ち込みたかったのだろう。実際に、字余りの歌詞は、桑田佳祐たちの先駆けだったし、メロディラインが斬新で、歌謡曲にまで革命をもたらした。Jポップとかニューミュージックとかは、拓郎無くしてはあり得なかったのだ。余談だが、吉田拓郎の音楽性に、中島みゆきの感性を載せたものが、あいみょんだろうと思う。

 ビートルズを真似ようが、ボブディランを真似ようが、広島の田舎者が、売れる為に色んなことをやるのは、それなりに斬新だった。ただ、当時のフォークは、反体制のメッセージソングが主流だったので、「結婚しようよ」「襟裳岬」「旅の宿」で、多くのファンから「裏切者」と石を投げられたりもした。井上陽水・小椋佳・松任谷由実と共に、「反革命4人組」とまで言われ、社会よりも、個人的心情を歌う「私生活至上主義」の色が鮮明になって行く。それでも構わず拓郎節は、CM曲も含めて、誰も知らないものがないほど浸透した。

 政治の季節が終わり、若者が大人社会に染まって行く時代だから、陽水の「傘がない」と同様に、「そういうものか」という諦めがあったし、改めて、日本のミュージシャンに「社会的問題意識」を期待するのは、100年早いと割り切らせたのも、拓郎である。

 よしだたくろうは、一方では、プロデューサーになり、作詞作曲家になって、日本の音楽シーンをひっくり返そうとした。自分の唄が流行らなくても、「たどりついたらいつも雨降り」(モップス)「襟裳岬」(森進一)「雪」(猫)「かわいい悪魔」(キャンディーズ)「歌ってよ夕陽の歌を」(森山良子)「狼なんかこわくない」(石野真子)「我が良き友よ」「シンシア」(かまやつひろし)「メランコリー」「銀河系まで飛んで行け」(梓みちよ)「永遠の嘘をついてくれ」(中島みゆき)「ルームライト」(由紀さおり)…と、提供曲に人気が出て、一時は元気いっぱいだった。

 しかし、筒美京平、すぎやまこういち、船村徹、遠藤実ら、プロの作曲家たち。なかにし礼や阿久悠らの辣腕作詞家には、質量ともに太刀打ちできなかった。せいぜい、50曲に1曲が当たれば精一杯…そこから、エネルギーも才能も枯渇しての隠居生活。それを支えてくれたのが、孫たち(KinkiKids)だったのだろう。

一世を風靡した拓郎節は、辞め時を間違えたかもしれない。人生に迷い、新しい音楽性を模索しながらも、社会的引きこもりだったから、とうとう社会と交わる言葉が見つからなかった。つまり、「人生なんて」の答えが出ず、「いつまでも人生を語らず」仕舞いだった。だから、ニヒリズムの境地のような〈落陽〉が、拓郎自身の一番好きな唄だろうし、僕の№1でもある。

未だに、ジーパン&スニーカー。そればかり履いている自分は、やはり拓郎世代なんだなぁと改めて思う。惜別の念と物足りなさを感じながら、辞め時は難しいものだと、つくづく考えさせられた。

(出典:イラストAC