(63)・・・きかんぼ・・・

 きかんぼ(聞かん坊);言う事を聞かん奴。

「おまえは、どしてそんなにきかんぼなんぞ」と、親父に何度か殴られた。小4の担任女教師には、「りゅうくんは、きかんぼじゃけん、怒るよ」と言われ、頬っぺたをパチンとしばかれた。自分でも、未だ身に覚えがない。素直に自分の考えを言うと、いつも「なんで皆に合わせんのじゃ?」と、何度も何度も怒られた。

 アスペルガーの子どもたちの苦悩が、今にしてよく分かる。趣味嗜好、感性の違い、動きのパターンなど、子ども時代にはどうしようもない。ある程度大人になれば、どうやったら合わせられるか?どうしたら、周りが白けるか?少し分かるようになって来る。

 土台には、こだわりが強く、マイワールド、マイルールがあり、それを頑なに譲れないのだ。人から見たら、全くどうでも良いことにこだわって、勝手に疲れている。最近は、森永のマスカット味のアイスが見つからず、あちこち捜し歩いている。GABA入りのマイニチケアガムが無いと、これまた必死になる。ヨーグルトはチチヤスのみ。コーラはメッツコーラ0じゃないと飲まない。パンは、6枚切りの山型パン(神戸オイシス製、¥90)じゃないと、食べた気がしない。スーパーマルナカにしか無いので、売り切れているとしばらく憂鬱感が取れない。

 もう、ついでじゃけん書いてみよう。Tシャツは、しまむらonly。なんぼ汗をかいても、1週間に1枚ずつ。靴は、ニューバランスのスニーカー、ギリギリまで履き続ける。ズボンは、もう何十年もジーンズだけを着たきり雀。セーター、マフラー、下着、靴下など、締まるものは皆苦手。若い頃は、冬でも裸足だった。普段着とよそ行きの区別が無いので、どこに行くのも同じ服しか着ない。TPOなんぞは無関係である。

(58)収集癖にも書いたが、誰も知らない歌謡曲には、かなりのエネルギーを使った。倍賞千恵子の「リラの花散る町」が見つからず、プロダクションに電話して頼み込んだ。もう原盤が無くなっていたが、親切な倍賞さんが、ファンの人に問い合わせて、テープをダビングして送ってくれた。山田太郎の「遠い汽笛」も、プロダクションに電話したが、もう残ってないという返事。しかし後日、山田太郎本人から電話があって、「僕もこの曲忘れていた。見つけたから、送りますね」と親切な対応に感激したものだった。(YouTubeなど無い時代のこと)。

 昔の青春歌謡全盛時代に、ミニヒット(東京キャラバン)しか出ずに消えて行った北耕一。(北公次なら、フォーリーブスで有名)。桁違いに歌がうまかったが、三田明、安達明、久保浩、叶修二らに負けてしまった。この人のデビュー曲「初恋」を大切に持っていたが、その後が気になって探し回り、東京で歌声喫茶をやっていることを聞きつけて電話した。妻は、当時の演歌歌手、姫之宮ゆり(愛媛出身)。本当にどうでもよいこと、何の用事も無いのに、こだわり出すと止まらない。

 もう人に言うのも恥ずかしいような小さなこだわりが、毎日の生活をギッシリ埋め尽くしている。診療の中にも沢山あって、「デパス?絶対に出さんぞな」など、絶対に処方しない薬がたくさんある。それで、患者さんと衝突になる。向こうから見たら、「きかんぼの医者じゃのう」と呆れているだろうが、こういうこだわりなら、悪くはないだろう。直線が好きで、曲がったことが嫌い。不条理、不正義は絶対に許せない。

 自分では、人に気遣いして、物分かりが良く、結構柔軟な人間だと思って生きて来たのだが、どうもそうじゃないらしい。「自分勝手」「わがまま」「頑固者」「人の気持ちを無視する」などと、726回くらい言われて来た。がっくり…!この歳になっても、自己認知が不十分とは、残念じゃ、残念からげるぞよ。

(出典:イラストAC