(118)・・・瀬戸内寂聴・・・

 瀬戸内寂聴が亡くなった(99歳)。この人の事は、よく知らない。その小説を読んだことが無いし、恋愛遍歴の噂も、よく分からん。小説家としては、無頼派(反俗、反秩序)に属するのだろう。しかし、知っているのは、女性解放運動、反戦運動(集団的自衛権反対、湾岸戦争反対)、反原発運動での、寂聴である。

国家権力に対して、臆せずに物申す人が、また一人居なくなった。「アベ政治を許さない」というキャッチフレーズの元、寂庵に、小泉や安倍を呼び出したが、安倍は、うんこちびって逃げたまま。小泉に、反原発を説いて、その後の菅原文太や沢田研二にまで繋げた功績は大きい。

寂聴が死んでも、こういう最も大事な部分は、敢えて?報道されなかった。いつから、新聞やテレビは、こんな腑抜けになってしまったのか?

若い人には不思議だろうが、日本では、敗戦に至るまで、女性に選挙権が無かったし、立候補も出来なかった。その参政権運動→女性解放運動の先駆者は、大正デモクラシーの時代に登場した、平塚らいてふ(雷鳥)だろう。「元始、女性は太陽であった」という一文が有名である。平塚の精神は、与謝野晶子、山川菊枝、伊藤野枝、岡本かの子(太郎の母)、市川房江らに影響を与え、戦後のフェミニズム運動に受け継がれた。

市川房江は、参議院議員として、87歳まで斗った女性闘士である。二院クラブには、青島幸男、中山千夏、野坂昭如、コロムビアトップ、いずみたく、西川きよしなどの良心派リベラルが所属していた。一時はかなりの影響力を持っていたが、八代英太の裏切り、青島の東京都知事への転向、後継者不足により、今は跡形もなく消え失せた。

伊藤野枝は、大正12年の甘粕事件で、大杉栄とともに、軍部に虐殺され、古井戸の中から発見された(当時28歳)。その主張は、人工妊娠中絶、売買春、戸籍制度にまで及び、当時の国家権力にとって、「危険人物」だったのだ。このカップルには、大正アナキズム(無政府主義、反国家主義、反権威主義)の真髄が見える。

28歳で死んだ伊藤野枝の娘(当時1歳)は、伊藤ルイズ(留衣子)と言い、後に、ルイと名乗った。松下竜一の「ルイズ―父に貰いし名は」で語り継がれているが、この人も、市民運動&フェミニズムに身を捧げた。(松下竜一の代表作は、他に「記憶の闇」がある)。

令和の時代、日本のフェミニズム運動は、ますます心細くなっている。澤地久恵、上野千鶴子、田中優子、北原みのり、福島瑞穂?、田嶋陽子?などが頑張っているが、重石のように存在した瀬戸内寂聴の死は、暗い時代を予見させている。女性の国会議員比率は、先進国の中でも最下位であり、高市早苗のような「女の仮面をかぶった男」を除くと、ほんの数名しか存在していない。おっさんばかりの政治は、戦争に親和性が高く、弱者へのまなざしが無い。自民、公明、維新に限らず、立憲民主党においても、むつこいおっさんが大きな顔をしていて、見苦しいことこの上ない。

維新、竹中、アホノミクスの新自由主義こそ、フェミニズム(+SDGs運動)に対する最大の敵になっている。非正規雇用ばかりを増やし、自己責任論で切り棄て、そこにコロナ過が襲い掛かって、どうなったか?女性の貧困率は、ますます高く、働く女性の自殺者も急増している(前年比25%増)。

「夜明けの前が、一番暗い」…ならいいのだが。

(出典:イラストAC