(134)・・・漫才万歳・・・

 もともと、お笑いは嫌いじゃなかった。でも、これまた趣味が違っていて、話が合う人はいない。しかも、徐々に年寄り趣味になって来たから、最近は見ることが少なくなった。

漫才は、もともと萬歳(万才)として、平安時代に始まったらしい。元は、民謡、俗曲、浄瑠璃などの、歌舞音曲が中心で、三味線や鼓、ギター、ウクレレなどもあった。

最近は、しゃべくり漫才、どつき漫才、コント漫才が主になっている。僕の漫才の聞き始めは、花菱アチャコ、横山エンタツの「早慶戦」であり、これが、現代風漫才の原型だろう。(もうむちゃくちゃでござりまするがな)

最近は、お笑い第〇世代とか言って、次々とお笑い芸人が登場しているが、5分も聞いたら、もう消してしまう。なんにも面白くないし、むしろ気分が沈んで来る。やたら大声を出したり、腹や尻を出したり、転げまわったり、どついたりしているが、悲しくてやりきれない気分になる。

やすしきよし、巨人阪神、B&B、紳助竜介、ツービート、ザぼんちなどの、漫才ブームにも付いて行けなかった。当時から、好きだったのは、人生幸朗、生恵幸子とチャンバラトリオである。人生幸朗の、「責任者出て来い!」が、サイコーだった。

弱い者いじめの毒入りギャグやドツキ漫才が好きじゃないから、ほとんどが×である。たけしや紳助の我が物顔も鼻につく。

横山エンタツ門下からは、やすしやノックなどが出たが、僕の贔屓ひいきは、横山たかし(愛媛県松前町出身)である。

「すまんの〜。大金持ちのおぼっちゃまじゃ。みんな笑えよ〜」「家は、松山城の天守閣。庭に道後温泉が沸いとるぞな」と、大ぼら漫才だった。体を弱くして、「4億円で作った黄金の車椅子」に乗って、高座に上がっていたが、2年前に亡くなってしまった。

愛媛贔屓で言うんじゃないよ。同じ愛媛でも、カウスボタンや和牛、友近には、興味が無い。上沼恵美子のほら吹き漫才も、所詮は、横山たかしのパクリである。

 自分の一番は、ウーマンラッシュアワーである。ウーマン村本が、早口でしゃべり、中川パラダイスは、ウン、ウンと言うだけ。村本も、それ自身がおもろい訳でもない。一応、「THE MANZAI」で優勝もしている。

 ネタは、沖縄辺野古基地問題、原発再稼働から、東北の震災復興、朝鮮学校や在日いじめ問題など、社会問題ばかりである。安倍や菅など、ボロクソなのが小気味いい。

 当然、SNSでは炎上に継ぐ炎上であり、「芸人ふぜいが政治を語るな」「高校を出たくらいで、政治が分かるか」と、非難され続けている。アホか?芸人も、国民の一人じゃわい!

テレビ局も、徐々に起用できなくなって、顔を見ることも少なくなった。しかし、村本はめげないで、地方を回り、お寺や公民館でも、芸をやり続けている。

 諸外国では、お笑いが差別にならないように、一定の基準があるらしい。それと共に、スタンダップコメディというジャンルがあって、社会問題を、笑いを交えながら、風刺しまくる芸風があるらしい。日本には、ぜんじろうやラサール石井くらいしか居らず、それもテレビ局からは敬遠されて、顔を見ることも珍しくなった。

 まだ若いウーマン村本が、今後どう生き延びるか?それを、じっと見て居よう。この国の、成熟度や民度のレベルが分かるだろう。

(出典:イラストAC