(216)・・・北原謙二・・・
今日は、北原謙二を忘れないように書いておこう。流行歌と言えば、我がナンバー1は北原謙二以外に居ない。「郷愁」を歌えない歌手は、歌手に非ず…という時代だった。
御三家(橋、舟木、西郷)登場によって、ぶっ飛ばされた不運の歌手である。他にも、松島アキラや井上ひろし、守屋浩、三船浩、神戸一郎、高木たかしなどが居た時代だった。「若い」シリーズのように、ヒット曲多数だが、あっという間に忘れ去られた。
当時から、敢えてファルセット(裏声)を使わず、こぶし(ビブラート)も無い棒唄は、西田佐知子と共に双璧だった。その棒歌いが、この人の哀愁になり、歳とっても根強いファンが居続けた歌手だった。
大阪の浪商野球部出身で、まだPL学園も大阪桐蔭も無い時代は、浪商の天下だった。後輩の張本勲や尾崎行雄も、謙ちゃんには頭が上がらなかった。大阪の喜劇人に愛され、好青年で誰にも好かれた。しかし、プロダクションは、大阪の歌だけは歌わせなかった。大阪弁も使うことが禁止され、ファンには東京出身と偽ってデビューしたのだ。
サーカスの唄など、10名以上がカバーしているが、北原謙二が飛び抜けている。うまい歌手はいくらでも居るが、生まれ持っての哀愁の歌声である。
自分のベスト10を選んでおきたい。①は、Youtubeにも残って無く、僕はそっと大事に残している。孤独…ふるさと…勿忘草…こういうのに弱いなぁ。
- 孤独の河
- 石狩列車
- 初恋は美しくまた悲し
- ひとりぼっちのガキ大将
- 白いリンゴの花が散る
- 潮騒
- あの夢この歌
- サーカスの唄
- さよならさよならさようなら
- 忘れないさ
(番外)
ふるさとのはなしをしよう
若いふたり
若い明日
若い君若い僕
若い太陽
北風(North Wind)
日暮れの小径
⑨『さよならさよならさようなら』は、印象に残る歌の一つである。
♪赤いパラソル くるりと廻し あの娘しょんぼり こちらを向いた 町のはずれの つんころ小橋 さよならさよならさようなら 雀チュンと啼いて 日が暮れる♪(1962年)
昭和の人なら知っている人も多いだろうが、この歌は、歌詞を変えてのち、大ヒット曲になった。♪きっと来てねと 泣いていた かわいあの娘は うぶなのか なぜに泣かすか 宗右衛門町よ さよならさよなら 又来る日まで 涙をふいて さようなら♪
平和勝次とダークホース『宗右衛門町ブルース』(1972年)
星野哲郎の青春歌謡が、10年経って、平和勝次作詞のド演歌になり、蘇えった稀有なケースである。作曲は、山路進一(『柔道一代』『そんな夕子に惚れました』『1週間に10日来い』『まだ見ぬ君を恋うる唄』『北国の街』)で、もちろん同じ。平和勝次は、500枚だけ自主製作して、有線放送に持ち込み、それが200万枚の大ヒットになった。
似たようなケースはいくつかあるが、青春歌謡→演歌は、この1曲しかないだろう。ちょっと有名な変換曲では、ズーニーブーの『ひとりの悲しみ』→尾崎紀世彦『また逢う日まで』がある。作曲は、筒美京平。作詞は、阿久悠と同じであるが、阿久悠が書き直したら、これまた、200万枚の大ヒットになった。(ズーニーブーは、『白いサンゴ礁』がヒット)。昭和ならではの出来事だろう。
年寄りの愚痴だが、令和の時代には、もう「哀愁」のカケラも見れなくなった。時代というものはこういうもんかのう…。
『孤独の河🎵』作詞:石本美由紀 作曲:遠藤実 歌唱:北原謙二(昭和39年)
花を浮かべて はるばると
流れる河は寂しかろ
俺も孤独な旅姿
水に映して月を見る
人を待つ身はつらいもの
待たれているは尚つらい
待ちも待たれもしない身の
ひとりぼっちは泣けるだけ
白く河原に咲く花を
わすれな草と誰が呼ぶ
恋もあの子も思い出も
おれは忘れはしないのに