(52)・・・摩耶六甲縦走ライン・・・

 神戸の人は、ここを歩いて縦走するのが楽しみの一つである。本当は、須磨〜宝塚であるが、手抜きをするなら、摩耶山にケーブルカーで登り、六甲山からケーブルカーで降りれば簡単である。都会のすぐそばに、1000m近い山があり、瀬戸内海から、大阪、和歌山、明石、淡路島が望めるので、避暑も兼ねて、登山客が多い山である。

 4年生の頃だったか、下宿の同輩、後輩に誘われて、5人で早朝からチャレンジした。40㎞近い難行である。電車で、須磨まで行き、歩いて須磨寺から須磨浦公園を登り、整備されたハイキングコースに入る。鉢伏山とか高取山、鵯越を経て、摩耶山に向かう。

鵯越ひよどりごえは、源義経が、須磨一の谷の平家に対して、急坂を攻め下ったので有名である。討たれた平敦盛は、弱冠17歳。笛の名手だった。敦盛塚が、須磨浦公園にある。デビューしたての舟木一夫が、大河ドラマで敦盛役をやって、余計に有名になった。

摩耶山には、掬星台きくせいだいという日本三大夜景の展望台がある。星を、両手ですくえるような、と言う意味。
函館(函館山)、長崎(稲佐山)と並ぶ絶景である。
そこを過ぎて、六甲山(瀬戸内海国立公園)の細道を行くのだが、夏でも、とても涼しかったのを覚えている。人が隠れるような深いクマザサの茂みを、何度も何度も抜けて、六甲牧場を過ぎてからは、いつのまにか一人になっていた。

実は、ここまで何も食っていない。展望台にも立ち寄らず、休憩も無く、瀬戸内海の眺望を見る暇もなく、黙々と歩き続けたのだ。シングルタスクの自分にとって、歩くとなれば歩くことしかしない。同行の4名は、何かを食べたり、眺めを楽しんだりするから、当然、僕から離れてしまう。そうやって、単独行になってからは、ますます足を速めて、阪急宝塚駅に着き、ひとり電車で下宿に帰った。

暗くなって帰って来た連中には、「おいおい、なんで皆と一緒に行動せんのや?」と非難されたが、当然である。「おまえらが遅すぎるんじゃがな」と言い返しながら、実は、心の中にやましさがあった。一つのことしか出来ない、皆と協調できない、そんな性分が、20歳前後から、ますます顕著になった。

なお、六甲山から東には、甲山かぶとやまがある。甲山事件で25年もの長きにわたり、冤罪事件の被告になって斗い続けた山田悦子さん。愛媛出身の縁もあり、松下竜一「記憶の闇」を読んだ後、ささやかだが支援活動を続けた。山田さんは、今も司法の闇を撃つ為に、講演活動を続けていると聞く。もう彼女も、70歳近くになっただろうか。

僕も老いました。昔の健脚自慢が、今や足の衰えに苦しむ毎日です(とほほ^^;)。

(出典:ジャパンエコトラック

*出版社の許可を得て、投稿しております*

(出典:週刊新社会 2021年07月20日発刊)