(74)・・・中間体操・・・

 愛光学園(中・高)時代には、毎日毎日中間体操が続けられた。2時限目と3時限目の間に、上半身裸で校庭に出て、全校生徒が十何周かを走り、その後朝礼台に立つ体育教師の号令で、「天突き運動」をするのである。砂埃の舞う真夏もつらいが、やはり真冬の寒さでは、歯が合わず、ガタガタ震えが止まらなかった。

 「早よ(運動場に)出んか!!」「粉雪が降りよりますがな」「ばか~っ、走ったらぬくもるんじゃ、早よ行け~」
 何人かの満州帰りの教師たちが、鞭のような指揮棒を持って、おっとろしい目で睨むから、一部の不届き物は、怒られてばかり。体温計をこすって、「先生、7度2分あるけん、休ませてや」「馬鹿野郎、そりゃ平熱じゃけん、早よせい!」

 周回コースに裏門があり、そこを抜け出すと、通称「ボロ店」という「何でも屋」(雑貨、お好み焼き、飲み物屋)があった。松山空襲で焼け残った一角で、まさにバラック小屋の「ボロ店」だったが、そこのおばちゃんとは、その後も長年の縁が続いた。(タコ焼きの粉の混ぜ方も、ここで習った)。

 裏門から、何度も抜けだして、お好み焼きの鉄板で体を温め、終わった頃にこっそり戻るのだが、敵もさるもの…後をつけられ、何度も捕まった。体育室に2人、3人で呼ばれ、裸で長い説教を受ける。

「こら、りゅう!なんで規則を破るんぞ」「いえ、すみません」(破りたいけん、やぶるんぞな)「それじゃ理由になっとらん!なんでぞ?」「はい、すみません」(軍事教練は、時代錯誤ぞな)。「根性鍛えんと、東大には入れんぞ」「はい、分かっとりまぁす」(東大東大と馬鹿の一つ覚えじゃがな)。「おい、りゅう!なんで笑ろたんぞ?」「いえ、笑ろてませんがな…」 
   
腹の中では、言いたいことが一杯あったが、鉄拳が飛んで来るのが怖くて、早く終わらせようと、ひたすらペコペコしていると、またそれに腹が立つのか、「わしを舐めとんか、おんどりゃ~!!」と怒るのなんの。(お前の汚い顔は、よう舐めんぞな)と、ウンザリしながら、説教が終わる。

 「3時間目は出いでもええ。朝礼台に正座!!」「ふぁ~い」
鉄の朝礼台は、冬の寒さじゃなくても痛いのなんの。足が痺れてしまうまでは、激痛に顔を歪めた。少しでも正座が崩れると、二階の教員室から、「こら~!りゅう!正座じゃあ言うたろが!」と、全校に聞こえるような。(しまいに、血管が切れて、ポックリ行くぞな)などと呟きながら、懲罰が終わるのだ。優等生たちには、「馬鹿じゃろか?」と、あきれられたが、全然懲りなかった。しょーもない「時代錯誤」と斗うのが、自分たちにとっての「正義」だったから、恥じることはなかったのだ。

 「(努力+勤勉)×根性=東大…これが基本公式じゃ」と言われるたびに、やる気が失せて行った。(わしは、公式は使わず、応用問題を解くんじゃけん、放っといてぇな)と、子ども心に不満が溜まり続けた。「おまえらこそ、戦争の反省が出来とらんぞ…」と一度は言ってやりたかったが、その機会は逸してしまった。

何よりも、上からの命令とか強制があると、絶対に服従しない反骨心が、生まれつき備わっていたのかも知れない。あゝ懐かしの中間体操、あゝ懐かしのアナクロニズム(時代錯誤)。

(出典:イラストAC