(92)・・・見果てぬ夢・・・

僕の天敵読売新聞に、佐藤光展という記者が居て、彼の記事「医療ルネッサンス」の取材で知り合ったのは、もう十何年前だろう?

略歴には、こう書いてある。
医療ジャーナリスト。探査ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」シニアリポーター。神戸新聞社会部で阪神淡路大震災や神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、2003年から15年間医療部に在籍。菊池寛賞や日本新聞協会賞などを受賞した看板連載「医療ルネサンス」の執筆や、数々のスクープで「医療の読売」を支えた。2018年1月、早期退職してフリーに。現在は、神奈川精神医療人権センターに参加している。

このブログの頭にも、神奈川精神医療人権センターを紹介しているので、いつか見て頂きたい。ここには、長年の盟友、広瀬隆士ケースワーカーも加わって、実に興味深い活動をやっている。盟友と言いながら、広瀬さん(通称、ゴキブリ広瀬)とは一度きりしか会ったことがない。しかし、間違いなく分かり合える、唯一無二の盟友なのだ。

さて、話は元に戻る。佐藤記者は、講談社から『精神医療ダークサイド』『なぜ日本の精神医療は暴走するのか』という強烈本も出しているので、皆さん、必読である。しかし、こんなことばかりやり過ぎて?結局、読売を辞めてしまった。経緯は知らないが、大新聞社を辞めるのだから、それ相応の勇気が要っただろう。

日本中を飛び回っていて、各地の精神医療エピソードを教えてもらいながら、何度も松山でお会いした。その中で、今回は、僕の精神医療歴を、面白おかしく書いてくれている。さすがにプロ、うまいものである。大したことも無い人生を、うまく格好つけてまとめて呉れたのはいいが、恥ずかしくて読めない。あまりにも、未熟だったし、その割に自信満々だった時代を振り返るのは、なかなか辛いものがある。

もう一つの葛藤…僕は未だに(ええ歳こいて)、ジャーナリストの夢を忘れ去ることが出来ない。もう一度人生をやり直せるなら…と思っている目の前で、佐藤記者の溌剌たる取材行動を見るのは、あまりにも羨ましくて羨ましくて、あ~あ羨ましい。(しつこい)

ついでながら、もう一つ。患者会ごかいの活動は、35年で途絶えてしまったが、それなりにやり切った感がある。健常者を嫌い、お世話されるのを嫌う病者中心の活動は、メンバーの老いと共に、持続できなくなった。あれは、「究極の病者天国」だったから、みんなにとって、十分だったかもしれない。

一方、健常者的感覚で総括すれば、「へんな古本屋」の2階でやっていた「松山精神医療人権センター」を、もっと展開したかった。そんな思いが残るのだが、神奈川では、その複合型のような活動がなされていて、実に羨ましくて羨ましくて…あ~あ、しつこいなぁ。

せめて、もう少しの残りの人生。悔いのないように生きたいものだ。

その一節が、身に沁みる。

「わが人生に悔いなし」唄;石原裕次郎、作詞;なかにし礼、作曲;加藤登紀子

桜の花の 下で見る
夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ
生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実(うつつ)だろうと
わが人生に 悔いはない
わが人生に 悔いはない

(出典:イラストAC
(出典:イラストAC