(105)・・・くるまにあ・・・

 記憶が弱いので、ハッキリしないが、おそらく26台を乗り継いで来た。当初は、「前向いて進めばいい」から、「速く走る」になって、次は、皆が載ってない「売れない車」にこだわって、その後は、「軽自動車ならOK」となった。
アメ車のような派手なものはイヤ。ドイツ車のように、医者やヤクザを連想する車はイヤ。
イタ車のような、軽薄なものもイヤ。
右向いても左向いても走っているトヨタ車だけは、貰ってもドブに捨てるだろう。

思い出に残る車を書いてみよう。

1.日産:ブルーバードSSS(1台目) 
三宮の中古車展示場にあった、S47当時1万円!の白の4ドアセダン。SSSは、スーパースポーツセダンの略。海外ラリーでも連戦連勝し、四輪独立懸架のSOHC1600㏄だった。おんぼろで、あちこちが錆びていて、左側後部ドアに大きな穴が開いていたが、ガムテープで雨を塞いでいた。
免許取り立てだったから、あちこちぶつけると思って、中古を買ったのだが、まぁ速くて速くて、しかもタフネスだった。当時は、省線六甲道駅近くの公園沿いに路上駐車していたが、ボロくて傷つけられる心配もなく、しかし中身だけは、さすがの名車だった。
くしくも、5台目も中古の同車であり、白を買って真っ赤に塗り直した。素人が、ハケで塗っただけであり、研磨も上塗装もせず、近くで見たら、ハケの跡だらけだったが、真っ赤な車体は目立っていた。何より、黄色のペンキを使い、前横後ろにも、「反権力」「反原発」「精神病院解放」「あらゆる差別と斗うぞ」などと大書して走っていたから、目立って当たり前である。
人がいぶかしそうに見て通るのが快感で、当時から変人だったかもしれない。

2.マツダ コスモロータリースポーツ
日産は、当時、フェアレディ、セドリック、グロリア、スカイライン、ブルーバード、サニーなどが絶好調であり、そういうのは好きじゃないので、誰も乗らないロータリーエンジンに乗り換えた。こいつの走行感覚だけは、唯一今でも体が覚えている。ガーッとかザーッとかのエンジン音が無く、「ヒューン」とだけ静かに回って、物凄いスピードが出た。13Bロータリーは、これまた海外レースでよく勝っていたが、サスペンションも豪華で、蒸気機関車と新幹線の違い位の差があった。但し、大きな欠点があって、リッター2㎞くらいしか走らず、いつもガス欠を気にしながら、ガソリンスタンドに行くことが多すぎて、長くは乗れなかった。

3.ホンダ CR-X
シビックがヒットした後、1600㏄DOHCエンジンのスポーツカーが出たので、待ちくたびれたかのように飛びついた。シビックのスポーツバージョンだった。
当時は、F1ブームであり、マクラーレンホンダの天才アイルトンセナが、プロスト、マンセル、ピケらとしのぎを削っていた。車は速くて、低いのが当たり前、タイヤも幅広で、バケットシートに身を沈め、タイヤを鳴らしながら、キュンキュンと走る。そんな車が、CRXだった。そのデザインは、今になって、マネタ自動車が、プリウスに丸ごと盗用している。

4.プジョー206
毎日の往診が増え、長い距離を走るようになって、疲れない車を探した。そこで見つけたのが、「猫足」と言われたフランス車である。地味で、外車らしくなく、極めて売れていなかったのが好都合だった。大きさもちょうど良く、気に入ってよく走った。
ある日、雨の朝にドアを開けたところ、車内に水が1㎝くらい溜まっていた。もちろん、窓もきちんと閉めていたのだが、こういう所が、フランス車なのかと、妙に納得したものである。

5.マツダ フレアクロスオーバー4WD(四輪駆動) 
 駐車違反が厳しくなって、往診の際に停める場所に苦労するようになった。その為、プジョーの後は、軽自動車ばかりに乗っている。もう、速さは求めないし、遠出もしないから、乗り心地も気にしない。三菱トッポ、スズキワゴンR、スズキジムニー、ホンダZ、マツダAZワゴンを乗り継いで、今は、フレアクロスオーバーに5年余り乗っている。
流行らない車が好きだが、ワゴンRだけは、出てすぐに買い、その後大流行して失敗したので、ますます売れていない車に移行した。フレアクロスオーバーは、元はスズキハスラーだが、ハスラーはヒットしても、フレアクロスオーバーはなかなか見ないので、満足している。

連帯を求めて、孤立を恐れず、行くぞどこまで、こだわりの道♪