(75)・・・日の丸君が代・・・
オリンピックが、無理矢理に開催され、テレビでは、コロナを忘れてしまうほどの大騒ぎをしている。スポーツ好きの僕も、見る時間は少なくても、結果をチェックし、一喜一憂している。自然な気持ちで、日本勢を応援したり、スポーツファンとしては、国を問わず、好きな選手を応援している。日の丸君が代は、見ないし聞かない。国を愛していても、愛国主義や民族主義は、危険極まりないものだと思っている。
余談だが、この国のスポーツジャーナリズムの幼稚さ、陳腐さには、改めてウンザリさせられる。カヌー、フェンシング、ホッケー、ハンドボール、ボートなど、多くの競技に選手が参加していても、スポット一つ当てようとしない。「金メダル病」のマスコミは、同じ選手ばかり追いかけ、下らぬ質問を繰り返す。「今のお気持ちは?」「応援していただいた皆さんにメッセージは?」「誰に報告したいですか?」…あ~あ、くだらない。
話は戻るが、この国の多くの政治家には、「神国日本」というノスタルジーから、一歩も進んでいない連中がいる。明治天皇をトップとした大日本帝国憲法は、敗戦によって、破棄されたはずなのに、未だに憲法改正を党是とした自民党の執念は、復古主義に凝り固まっている。国旗国歌制定法をごり押しして作った時も、肝心の議論は避け、皆が普通に使っているから…という理由しか述べられなかった。
神武天皇など、居るか居ないか分らぬ人物を持ち出し、ありもしない建国記念日をでっち上げた。神がおわします国、神が加護する国…にしては、なんでこんなに幸福度が低く、自殺者が多いのか?誰も答えることはできない。
太平洋戦争で、侵略を続け、多くの人民を虐殺、強姦して来た日本軍の旗は、日の丸(日章旗)であり、旭日旗だった。旭日旗は、大日本帝国の軍旗であり、太平洋戦争時には、海軍旗、今でも海上自衛隊旗である。アジアの人たちが、日の丸を見て、どんな感情になるか、想像すれば明らかだろうが、安倍晋三、櫻井よしこ、百田尚樹らの復古主義者たちに、人の心を期待するのが無理というものだろう。
主権在民のはずなのに、天皇制を賛美する国歌も、時代錯誤である。ナチスドイツやムッソリーニのイタリアでは、国旗、国歌を作り替え、鍵十字(ハーケンクロイツ)の使用自体を禁じている。
なぜ、日本には、この反省が無いのだろう?それは、アメリカが、天皇制を温存して、日本をアメリカの51番目の州として、「保護」「支配」したからである。そうやって、岸信介や中曽根康弘などの「戦争の亡霊」は生き残った。
教育現場では、日の丸の掲揚、国歌の斉唱から起立までが、事実上強制され、それに逆らった教師たちは、ひどい迫害を受け続けている。思想信条良心の自由など、憲法には書かれていても、実際には無いに等しいのだ。
強制的に愛国心を高めようとしても、愛される国家じゃなければ、愛国心にはならない。祝祭日に、国旗を立てる家は、滅多に見なくなった。正月でさえ、日の丸をつけているのは、暴走族ぐらいのものである。
強制的に、愛国心を鼓舞したって、もう誰も国の為になんぞ、生きもしないし死にもしない。国民の税金を使いまわし、私腹を肥やすような連中が国家を代表している限り、国を愛する…など、空念仏に過ぎないだろう。