(16)・・・兵庫県・・・

「休みの日には、何をしよるんぞな」とよく聞かれるが、答えが無くて困ってしまう。仕事以外には、何もやらない。若い頃には、野球小僧だったが、それは20代で終わった。学問嫌いで、本を読まないが、地図だけはよく見ていた。
高所恐怖で、飛行機に乗れず、船もバスも、すぐに酔うから、どこにも行くことが出来ない。仕方なく行った場合も、終始ゲロを吐き続けていた。おまけに、枕が変わると一睡もしないから、3泊くらいは、いつも徹夜だった。

こんな思いをしてまで、旅行なんか出来ない。しかし、地図マニアの名残があって、どこの町でも知っている(つもり)。
襟裳岬なら、森進一じゃなく、島倉千代子。みだれ髪の美空ひばりは、塩屋岬。本間千代子の波勝岬や森昌子の立待岬、北原ミレイの納沙布岬など、勝手に旅情を感じながら、まるで行った事があるかのように聞いていた。
旅は出来ないが、仕事で兵庫の北部をよく走った。昭和50年以前には、まだ座敷牢が残っていた。対応が行き届いた座敷牢もあったが、多くは、家畜のように繋がれ、近隣に見つからないように、真っ暗で不潔な環境下に置かれていて、悪臭は凄まじかった。座敷牢の往診は、松山に帰ってからも、昭和51年まで経験し、その後、徐々に聞かなくなった。

篠山から日本海側にかけては、独特の旅情があった。大学に行かず、看板屋に勤めていたので、会社の夏季休暇には、こぞって、日本海側にキャンプに行った。「夢千代日記」で有名になった湯村温泉。作者は、松山出身の早川暁。
浜坂から岩見に至る海岸は、瀬戸内海とは違った美しさがあった。余部あまるべ鉄橋は、祖父が国鉄所属の医者として、明治末期の建設に携わったと聞く。あの朱色の橋梁は、2代目になって、どうなったか知らない。

どこでも似たようなものだが、神戸の精神病院は、湊川病院以外は、裏六甲に点在していた。入ったら出れない病院とか、全員が電気ショック療法を受ける病院とか、医者の出入りが無い病院も多く、実態が分からず、おどろおどろしい噂が飛び交っていた。知的障害、身体障害を伴う自閉症患者が、ひと病棟に集められ、皆が皆、よだれを垂らしていた光景が頭から消えない。当然、優生手術も盛んに行われていた。あの当時の自閉症研究は、多くの犠牲者を出して、何を得たのだろう?ー旅の話から、またもや脱線したぞな…。

(出典:旧余部鉄橋)

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