(197)・・・チェ・ゲバラ・・・

「尊敬する人は?」…「お父さん」「お母さん」
「将来なりたい職業は?」…「大臣」「お医者さん」「社長さん」
「欲しいものは?」…「ノーベル賞」「億万長者」
こういう答えをするような子どもになってはいけませんよ。そういうのを、陳腐と言う。

死にかけのじじいが、勲章をもらって、嬉しそうにしているのを見ると、「あ~あ、この程度の男だったのか」と幻滅する。どうしても勲章が欲しいなら、首からグリコのおまけでもぶら下げて、喜んどりゃええ。国民栄誉賞を「立小便も出来んからイヤや」と断わった反骨の福本豊。ヨボヨボになりながら政治利用され、栄誉賞が嬉しそうだった長嶋茂雄。二人の人間の格が違い過ぎて、比べるのも失礼じゃわい。

 そうかと言って、僕のように、誰も尊敬せず、誰にも憧れず、何の夢も持たない…というのは論外である。人の欠点ばかりあげつらい、誰もかも小馬鹿にするように生きて来た。それはそれで、ねじれているばかり。その鬱屈が悲しすぎるぞ、陽一郎少年!

気になる人は居る。一人は、正岡子規である。理由は、(112)に書いた。あんな風に颯爽と生き、飄々ひょうひょうと死にたいものだが、現実には、齷齪あくせくとのたうちまわっている。残念!

もう一人、気になる人は、チェ・ゲバラ。キューバを解放したゲリラ戦士であり、医者でもあった。友好国だったソ連を、「帝国主義」と非難し、カストロと袂を分かった。175㎝で喘息持ちだったところだけは僕と似ているが、ゲバラは謹厳実直で、高潔な人物であり、愛とモラルの人だったから、「よもだのりゅう」とはあまりに違い過ぎる。

  何しろ、最初の決起は、たった82名であり、12名しか生き残らなかった。次に、300人で6000人の政府軍と斗い、これを打ち破って革命を成し遂げたのだ。命を捨てて斗いに臨む…その信念が素晴らしい。民主主義革命に疑問を持ち、ゲリラ戦による革命を夢見た理想主義者である。

農民と共に畑を耕し、鉱山労働者と共に、つるはしを握った。上から命令するだけの大将ではなく、「共に生き、共に斗う」ことを有言実行した。盟友カストロが場当たり的で、現実主義に手を汚して行ったのに比べると、ゲバラは純粋であり、政治家の世渡りは苦手だったから、再びボリビアのゲリラとなって、戦死した。カストロは、5時間にも10時間にも及ぶ超長演説で有名であり、90歳まで生きたが、一方のゲバラは、一言に凝縮させた名文句を残し、長い演説をやろうとしなかった。

  • 我々は、二つのヴェトナム、そして、三つのヴェトナム、さらに、数多くのヴェトナムを作るべきである。(歴史的遺言)
  • バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家など想像できない。
  • 祖国か、死か!
  • 我々にとって社会主義の確かな定義は、“人間の人間による搾取の撤廃”以外にない。
  • 一人の人間の命は、地球上で一番豊かな人間の全財産の百万倍の価値がある。隣人の為に尽くす誇りは、高所得を得るより遥かに大切だ。
  • 人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない。人間を磨くにも、人間とコミュニケーションを取るしかないんだよ。
  • もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、「そのとおりだ」。

不正を許さず、あらゆる搾取を許さなかったゲバラ。よく知っている人には敬遠され、よく知らない人からは愛された。そこも、ほんの少しだけ、自分に似ている。
僕が最も生き迷っていた20歳の頃に、ゲバラは死んだ(39歳)。

僕なんぞは、とうとう死に場所すら見つからないが、老いたりといえども、テロやゲリラ戦で死ねたら本望だろうと、夢想だけは止まらない。最近は、「山上徹也君、乾坤一擲けんこんいってきお見事でござる!」という独語空笑が、♪もお、どおにも止まらない♪

☆ 斑猫や わが青春に ゲバラの死 (大木あまり)

斑猫はんみょうは、小さな昆虫で、不思議なまだら模様が綺麗である。肉食系なので、猫と名前が付いているが、1mくらいしか飛べない。子どもの頃、お寺の境内でよく見かけたが、今は知らない。歩いて近づくと、飛んで逃げる。それを繰り返すから、「みちしるべ」「みちおしえ」とも呼ばれる。斑猫を、人生に惑う若者の道しるべに例えた俳句だろうか。

(出典:イラストAC