(71)・・・アカ・・・

 昔は、「お前はアカじゃろ?」とよく言われた。革命とか反体制を叫ぶから、そう見られやすい。アカとは、左翼全般の場合もあるが、主に、機関誌が赤旗である日本共産党のことを言う差別語である。

 申し訳ないが、日共(日本共産党)は、大嫌いである。いつもの口癖…読売巨人、酒、宗教が、僕の三大蛇蝎だかつだから、日共という宗教は肌が合わない。

 一方、反自民で、最も正論を言っているのは、日共に違いないから、自公政権を倒すのに、日共を排除しても、敵を利するだけだろう。悩ましい問題ではある。

 共産党を考える時、ソ連、中国、北朝鮮を考えざるを得ない。あれは、共産主義(社会主義)への失敗例なのか?それとも、あの道を行けば、必ず同じところに辿り着いてしまうのか?

 ソ連、中国、北朝鮮に共通するのは、一党独裁であり、偶像崇拝である。毛沢東→習近平、金三代、スターリンなど、ヒトラーとの違いがあるだろうか?どの時代にも、政敵を粛正、暗殺し、意に沿わないものは、収容所に入れ、殺しに殺しまくる。まずは国家があり、その為に人民が奉仕するのだが、国家イコール一人の独裁者だから、タチが悪い。

 日共の特徴も同じもので、民主集中制とかプロレタリアート独裁や無謬性むびゅうせいとかは、政権を取ったら、どう変貌するか分からない恐怖がある。民主集中制は、上意下達と同義語であり、要するに、上が決めたものに下が背いてはならない。無謬性とは、トップは決して間違えない→間違っても認めないし、反省しない‥に繋がって行く。プロレタリアート独裁とは、労働者の独裁を言うが、実態は、前衛党(日共)による労働者人民支配と変わらない。根っこにエリート主義があって、東大出の中枢エリートが、無知な人民を領導するという空気が、充満している。日共の歴史にも、リンチや粛清があった。その上に、宮本顕治、不破哲三、志位和夫(皆揃って東大出)が実権を握り、自己批判なんぞ一度も聞いたことがない。

実際に階級や身分が存在する限り、階級闘争は必須であり、社会主義思想は、避けて通れない。一方、教条主義(原理原則至上主義)とセクト主義(縄張り意識)は、絶対に容認できない。

 一党独裁は、それを守るために、官僚、警察、軍隊が強化される。表向きは、資本主義国家から国を守る、というものだが、実態は、官僚が、人民の上に立ち、賄賂が横行して腐敗するから、密告組織が必要になる。警察や軍隊の相手は、敵国である前に、多様な考え、多様な生き方をする人民である。これでは、ファシズム(独裁国家)にならない方が難しい。

 学生時代にも、日共(民青)の同級生には手を焼いた。皆が生真面目で、勉強家だが、妥協も譲歩もしないし、無闇に党中央を信頼して、疑うことを知らなかった。マルクスは、まるでキリストであり、「資本論」は聖書のようだった。

 創価学会(公明党)も、相似形である。学会員は、池田を信じた。池田がキリストであり、「人間革命」が聖書である。綺麗ごとを言いながら、自民党のコバンザメであり、甘い汁を吸い続けている。「どこまでも、付いて行きます下駄の雪」と揶揄されるが、僕は、「どこまでも、付いて行きます下駄の糞」と言っている。

 日共も創価学会も同質だが、じゃあ自民党は、自由主義政党だから良いのだろうか?いやいや、奴らは都合がいい時には天皇制を利用して、国民を支配する。天皇がキリストであり、ゼニカネ信仰という原理がある。

マルクスは他人事のように言った。「宗教は阿片である」(アホか?自分に言え)。 

何事も、無闇矢鱈に信仰してはいけない。すべてを疑ってかかろう。自分自身すら、いつも疑っておこう。じゃないと、どこかで誰かに洗脳されるぞな。あ~あ、おとろしや、おとろしや。

(出典:イラストAC

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