(212)・・・怪童・・・

 この言葉は、突如現れた天才…しかも10代に使われる。しかし、将棋の藤井聡太という大天才を、神童とは言え、怪童とは呼ばない。大谷翔平もイチローも、20代になって開花したし、相当な努力をしたから、やはり怪童とは呼ばず、永遠の「野球小僧」と言う。

 どこか児童的で、それなりの体形や愛嬌も必要だろう。浪商に現れた元祖怪童、尾崎行雄はあまりの剛速球で、高校生には打てず、高校2年で中退して東映フライヤーズに入り、1年目から大活躍した。それを思い出させたのは、今のヤクルトスワローズ、村上宗隆である。

 高校出身で、5年間の成績を比べれば、打率、打点、本塁打ともに、村上が飛び抜けている。例えば、本塁打で言えば、松井128本、王115本で、村上は153本である。清原もよく打ったが、本塁打こそ近くても、打率や打点で大きく劣っている。

 やはり、スワローズの怪童村上こそ、「村神様」と崇められるのは当然かもしれない。しかし、天邪鬼はここで終わらない。王も松井も上回っている村上だが、「四国の怪童」と呼ばれた中西太には、全く歯が立たないのだ。

 ホームラン製造工場と言われる後楽園、東京ドーム、神宮球場の成績に比べ、ボールが飛ばない時代に、福岡平和台球場を本拠地にした西鉄ライオンズの中西こそ、「怪童」の中の「怪童」である。もちろん、数字も実績もここに書くまでも無く、中西が圧倒的に上回っている。

 その強打は、凄まじいリストの力によるものであり、ショートライナーをショートがジャンプして取ろうとしても、グングン伸びてバックスクリーンをはるかに超えて行ったことも数多く、遠征して来たメジャーリーガーも、口をアングリさせていたらしい。

 そのリストの強さが災いして、選手生命が短くなり、20代で監督になった。普通にやっていれば、野村や王、張本などは問題にしなかっただろう。王、松井、清原を上回った村上…そして、その村上さえ上回った中西太こそ、「怪童」と呼ぶべき第一人者だと、ここでは強調しておきたい。

 加えて中西太は、170㎝そこそこの身長に、100㎏近い体重だが、守備はうまく、どこでも守れて、しかも俊足だった。19歳にして、3割30本30盗塁のトリプル3を達成しているから、他の追随を許さない。

 中西がコーチをして、多くの打者を育てた。若松勉(ヤクルト)宮本慎也(ヤクルト)新井昌弘(オリックス)、新井の弟子にイチローや丸佳宏など数多く、「高知の怪童」と呼ばれた杉村繁も育て、その杉村の弟子が、山田哲人と村上宗隆である。モットーの「何苦楚(なにくそ-何事も苦しむことが楚となる)」魂は、直弟子の岩村明憲(宇和島東→ヤクルト→メジャーリーグ)に受け継がれている。

 今のプロ野球は、中西太の血脈こそが主流になっていることを、どれだけの人が知っているやら。阪神、巨人しか書かない軽佻浮薄なスポーツ紙こそ、野球の真髄を忘れさせている。

 ここでは、中西太について触れたかったのだが、まだまだ終わらない。「怪童」中西太の再来と言われているのが、同じ高松に現れた浅野翔吾である。やはり、170㎝、100㎏の体形で、強肩豪打で俊足なのだ。この70年ぶりの怪童が、この先どんな成長を見せるだろうか?あの時代の中西太を見て育った僕の記憶が間違いないのなら、この浅野翔吾こそ、「怪童二世」であろう。そう予言しておきたい。

(参考)高卒5年間の成績(9月1日現在)
▼村上(2018~2022)
529試合 1848打数524安打 打率.284 153本塁打 416打点 OPS.993
▼松井
583試合 2159打数628安打 打率.291 128本塁打 375打点 OPS.908
▼王
625試合 1990打数527安打 打率.265 115本塁打 340打点 OPS.891
▼中西
633試合 2277打数707安打 打率.310 143本塁打 426打点 OPS.957

(OPSとは…出塁率と長打率を足し合わせた値である。打席あたりの総合的な打撃貢献度を表す指標であり、数値が高いほど、打席あたりでチームの得点増に貢献する打撃をしている打者だと評価することができる。)

(出典:イラストAC