(117)・・・山高きがゆえに貴(たっと)からず・・・

 最近、大谷翔平が国民栄誉賞を断ったが、さすがに賢明である。且つて、イチローは、8年連続首位打者でも、アメリカMVPでも、262安打世界記録でも、併せて4回も断っている。世界の盗塁王、福本豊は、「立ちしょんべんも出来んようになるがな」と、断った。

 大した記録も無い長嶋や松井が、賞に飛びついたのとは、人間の出来が雲泥の差である。時の政権は、自分たちの評判を上げる為に、賞を連発して来た。最も連発したのが、安倍晋三である。(アホか?!)

 毎年の文化の日には、文化勲章や褒章(紫綬、紅綬、黄綬、藍綬、緑樹、紺綬)が発表される。ただ、老害のように、政治権力に居座っていたような爺さんが、嬉しそうに勲章をぶら下げている姿は、実にさもしい。恥と思わないことが、恥である。

 稀代の陶工と言われた河井寛次郎は、文化勲章、人間国宝などを固辞し、自分の作品に銘も入れなかった。「名作は、名も無き職人が作る日用品にある」と考えた河井は、生涯、勲章や表彰を断り続けた。

 愛媛県内子に生まれた大江健三郎は、反天皇制ゆえに、天皇から勲章を貰うことを拒否した。大江が、一般的な文学賞以外に、勲章、褒章を受けなかったのは、当然と言えば当然である。

 昔は、小学校卒業の寄せ書きに、将来の夢を書く習慣があった。(今もそうか?)。大臣になる、ノーベル賞を取る、お嫁さんになる、博士になる、オリンピックに出る…など、皆がよくある寄せ書きをする中で、僕は、「泥棒になりたい」と書いて、ひどく怒られた。なんで、そう書いたか?覚えていない。間違いなく、おかしな子どもだったし、皆から浮いていた。何かにつけ、木に登り、半鐘に登り、寺の本堂に登って、「馬鹿と陽ちゃんは、高いとこに上がる」と、嘲笑された。多動性ゆえの行動だったのか?当時の心境を、覚えていない。

 グリコのおまけみたいなものを首からぶら下げて喜んでいるような奴は、名誉欲や出世欲を満たしたのだろうが、人間として、決して貴くはない。「高い所」に登りたいのは、人間の欲かも知れないが、高い所に登っても、中身がスカスカの人間は、浅ましさだけが見え透いて、恥ずかしいということが分からないのだ。

(出典:イラストAC

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