(190)・・・ハシシタ 奴の本性・・・

 参議院選挙が近づいているが、憂鬱である。右寄りの自民に、その右の維新が出て来て、NHK党、参政党、以下の泡沫政党も右ばかり。権力すり寄りが党是の創価公明は、正妻の座を維新に奪われまいと必死である。国民民主党は、昔の社民党のように消えて行くだろうから、残っているのは、軟弱この上ない立憲民主党、消滅寸前の社民党、ミイラ化した日本共産党であり、唯一まともなのは、「れいわ新選組」ということになる。

 右だの左だのは、以下の項目ではっきり区別される。

  1. 女性天皇を認める、認めない。
  2. 同性婚を認める、認めない。
  3. 外国人参政権を認める、認めない。
  4. 憲法9条は必要、必要じゃない。
  5. 選択的夫婦別姓に賛成、反対。
  6. 核武装に賛成、反対。
  7. 原発に賛成、反対。
  8. カジノ解禁に賛成、反対。
  9. 辺野古基地移設に賛成、反対。
  10. 集団的自衛権に賛成、反対。
  11. 首相の靖国神社参拝に賛成、反対。

これは、国家主義VS個人の自由人権という図式に近い。国家主義者と言えば、ファシスト(→ファシズム)だから、スターリン、ヒトラー、毛沢東、プーチンの卵と考えればいい。アベ、スガ、ハシシタをはじめ、牙を隠そうともしない奴らが、この国にもウヨウヨ居る。

表題のルポルタージュは、佐野眞一が週刊朝日に載せたのだが、非難轟々の末、連載中止になったもので、もう読むことができない。早く言えば、「ハシシタは、やばい男であり、父親が暴力団員、近い親戚に殺人や自殺事件があり、被差別部落に住んでいた」というようなものだった。

そもそも、橋下は、ハシモトじゃなく、ハシシタだと自分で言っているし、この騒動においても、暴力団員の父親や被差別部落出身であることを否定していない。しかし、ハシシタは、これを部落差別問題だとすり替えて、そこを持って、ぎゃ~ぎゃ~と例のガキのような喚き散らし方をして、朝日を謝罪に追い込んだ。この男の議論は、もう議論ではない。口角泡を吹いて、唾を吐き散らしながら、言葉数と大声だけで相手を威圧し、しゃべらせない。

なにしろ、部落解放同盟の組坂委員長が、こう言っている。
「私は彼の人権意識はおかしいと思っています。独裁的で、憲法改正を簡単に口にする。大阪市長としても、大阪人権博物館(リバティおおさか)や部落解放・人権研究所への補助金を打ち切ると決定した。大阪国際平和センター(ピースおおさか)に対してもそう。人権意識を磨き、差別や戦争をなくすための研究・啓発機関をつぶそうとは、とんでもないこと。

あの男は、部落解放運動が産んだ鬼っ子です」…これで、全てが分かるだろう。

 この銭儲けに執着する異形いぎょうの男は、維新の党を作り、そこに似た者同士が集まって来た。維新の文化は、「ヤンキー文化」そのものであり、常にモラルや法律のギリギリを歩いているから、醜聞が絶えない。

今のような時勢だと、勇ましいことを言う者が注目される。マッチョ系、オラオラ系、トランプ主義者、恫喝や脅迫まがいの威圧文化である。矢沢、長渕、布袋などが、「ヤンキー文化」の象徴であり、車で言えば、トヨタのアルファードである。普通は、こんなツラの車には、恥ずかしくて乗れないものである。

さて、ハシシタを巡っては、あちこちでトラブルまみれである。月刊誌『新潮45』(2011年11月号)では作家・精神科医である野田正彰が「これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者の空虚な言動に振り回されてはならない。演技性人格障害と言ってもいい」と批判した。この記事に関して橋下は名誉を傷つけられたとして著者と新潮社に1100万円の賠償を求めた訴訟を起こすが、2016年4月の大阪高裁は「『うそを平気で言う。バレても恥じない』などの逸話は当時の橋下を知る教員への取材や資料に基づいて書かれ、新潮社側には内容を真実と信じる相当の理由があり、公益目的もあった」として、最高裁も、橋下の訴えを退けて、逆転敗訴とした。

佐野眞一の記事の方が、差別的だと評判が悪かったのだが、僕から見たら、野田正彰が「おバカ精神科医」としか言えない。言いたいことは分かるが、それを精神病質だとか、人格障害だという空虚なICD風診断学を使うのは、あまりに古ぼけているし、精神科医を名乗る資格は無いだろう。これを、最高裁が追認したのだから、野田が最高裁レベルのアホだと証明されたわけだ。

話は逸れた。とにかく、ハシシタ維新は、アベシンゾーの庇護を受け、自民党の補完勢力として、徐々に権力に近づいている。大阪のヒトラーは、吉本興業や竹中平蔵と手を組み、ファシズムならぬハシズムの野望を隠そうとしていない。佐野眞一は、ハシシタを「衆愚の王」と呼んだ。衆愚と言われても、目を覚まさないのだから、わしゃ、もう知らんぞな。