(135)・・・生きよ堕ちよ・・・
…人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない…
坂口安吾の「堕落論」は、10代の自分にとって、光のように思えた。躾けられ、教育され、洗脳された自分の再発見には、一度自分の着ている皮を剝ぎ取りたい。そんな暗闇に、坂口安吾は新鮮だった。
高校生になり、受験教育を嫌悪し、友人と離れてさまよっていた頃、坂本という不思議な男に出会った。僕が、30点や40点の答案を出していた頃、隣の教室で、白紙答案を出していた坂本。同じような虚無のにおいがする男だった。坂本のおかげで、孤独の闇に陥る寸前で、10代を生き延びたと思う。
虚無感、堕落、デカダンス(退廃)から、無頼派の坂口や太宰治に引き込まれ、20歳で死んでも不思議ではなかった。今にして思えば、坂口安吾の「堕落論」を誤読していたのだ。安吾は、イデオロギーや国家観、倫理道徳から脱して、より自覚的な、より建設的な生き方を提案していた。未熟な自分の混乱は、安吾と太宰の区別が出来ず、太宰の自己破滅の方にどっぷりと浸かっていた。
坂本と二人、いつも口癖のように言っていた言葉。「健全ゆえの不健全」「不健全ゆえの健全」…まともな人間は、まともには生きれない。まともに生きているやつは、ロクでもない奴らだけ。今もその考えは、大筋において変わりがない。
中学の時の明るさと違って、19歳の時には、やけくそ気分で無銭旅行をやった。中日ドラゴンズの坂本、大洋ホエールズの僕、隠れ巨人の木下の3人組だった。木下は、さすがに「巨人ファン」とは、恥ずかしくてよう言わず、黙っていたので、仲間に入った。そのくらい、高校時代のクラスは殺伐としていて、巨人ファンは、「人間」と見做されていなかった。(今でも同じか…)
20歳前後は、最も荒んでいて、万引きをやり、パチンコをやり、最後に乞食までやった。世の中のいろはも知らぬ青二才は、根性も無く、動機も弱く、結局は、乞食の親分に諭されて、2日で逃げ帰った
そうこうしながら、半世紀が過ぎて、坂本は温かい家族に恵まれ、この歳まで生き延びている。僕もまた同じように、中途半端に生き延びて、この歳を迎えたのだから、無様である。
あの退廃の日々の裏には、不正、不公平、不条理を憎み、潔癖に生きたいという純粋な夢もあった。ペン一本で、巨悪を倒し、弱い者、貧しい者が苦しむ社会を正したい。しかし、バカな医学生になって、生きる道筋が見えなかったのだ。安吾の言う「真の堕落」にも行き着かず、太宰のように滅びることもせず、実に曖昧に生きて、妥協と日和見の人生だった。
う~む、残念からげるぞよ。
*坂本との往復書簡:神戸⇔松山で、何十回と議論を交わし、手紙をやり取りした。その切手は、最初の1枚だけで、あとは、同じものを何度でも使い続けた。ある工夫をすれば、今でも出来る。消印も糊も消して、サラの切手のように使い続けた。今も誰かがどこかでやっているだろう。