(125)・・・感性欠如・・・

 好き嫌いは誰にでもある。何度も言うように、僕が嫌悪するのは、①に読売、②に宗教、③に酒であり、どれも反吐が出るほど嫌いである。それとは別の話で、好き嫌いどころか、それ以前に、全く心が動かないものがいくつかある。子どもの頃から、皆が面白がっているのに、その輪に入れず、困惑して来た。なんであんなに面白いのだろう?チンプンカンプン??自分には、何かが欠如しているらしい。

  1. 漫画(コミック);「明日のジョー」「巨人の星」「ドラゴンボール」「ドラえもん」「サザエさん」「進撃の巨人」「鉄腕アトム」「キン肉マン」「名探偵コナン」「北斗の拳」「釣キチ三平」「こちら亀有」…有名なものは、一通り名前は知っている。しかし、何にも分からない。どこがおもしろいのか?
    新聞の四コマ漫画も見ない。週刊誌の連載漫画も見ない。一つの例外があって、東海林さだおの「タンマ君」は読むと面白い。
    いやいや、まだ例外がある。全巻持っていたのが、白戸三平「カムイ伝」である。これだけは、必死に読んだ。江戸時代の身分制度、「士農工商、エタ、非人」の世界を知り、それが、近代の部落解放運動に繋がることを知った。敢えて言うなら、これは漫画じゃなく、劇画である。同様に、「ゴルゴ13」もこの範疇だろう。
    多分、絵を頭に写し取る機能が、弱いのだろう。WAIS検査で言えば、知覚推理が弱い…つまり、空気を読めない(KY)タイプに繋がるかも知れない。むむむ、思い当たることばかり。

  2. アニメ:これは、漫画が分からないのと同じ機能に違いない。全く、見ない。理解不能。
    「鬼滅の刃」…ふ~む?

  3. ゲーム:診察室には、スマホ依存、ゲーム依存の10代がやって来る。遠くの誰かと、会話しながらゲームをしたり、課金でお金がかかったり…その意味、仕組みが分からない。「ドラゴンクエスト」「スーパーマリオ」とかなら、名前だけは知っている。なんであんなに熱狂するのだろう。音を聞くだけでも、頭が痛くなりそうである。

  4. クラシック音楽;さすがに、「運命」は知っているが、他は完全にダメである。ベートーベンが凄い、モーツアルトは天才だ、などとどう言われても分からない。聴覚過敏で、耳は良い。歌手の音程の狂いなど、微妙なものまで聞き分けられる。あゝそれなのに、それなのに、クラシック音楽が入って来ない。生育歴のせい?いや、親も弟たちも、自然にこなしていたから、やはり僕個人の欠陥なんだろう。クラシック音楽より、まだ、能、狂言、民謡の方がよく分かる。

  5. ビートルズ;昭和40年代は、ビートルズに熱狂するのが、まるで「常識」だった。周囲の若者は、誰もが、はしかにかかるように感染して行った。「レットイットビー」「イエローサブマリン」「イエスタデイ」など、一生懸命聞いてもみたが、さっぱり分からなかった。ローリングストーンズ、レッドツェッペリンなら、まだ分かるのに、なんでだろう?なんでだろう?

  6. サッカー;野球が廃れ、サッカーの時代になっても、その熱狂が伝わらなかった。試合を見ても、つまらない。野球で言えば、投手戦でもなく打撃戦でもない。貧打戦の1対0の試合のようで、つまらない。なにしろ、選手が移籍しすぎて、チームに愛着が持てない。作戦と言っても、ドリブル突破かサイド攻撃か、フォーメーションも攻撃的か、守備的か?極めて単調である。その点は、フィジカルの強さ、作戦の多様さ、タックル、ジャンプ、キック、パスを織り交ぜたラグビーに比べたら、つまらない、つまらない。

  7. SNS発の歌手;米津玄師、YOASOBI、まふまふ…そのくらいがやっとである。SNS発じゃなくても、今の音楽が入って来ない。否定はしないし、嫌悪もしない。ただただ、響いて来ない。プロではないから、下手なのは仕方が無い。いや、「うまい」と言う人も居る。しかし、一本調子で、語りも泣きも無く、抑揚もメリハリも無い歌い方は、唱歌にしか聞こえない。こちらが老人ゆえ、時代に付いて行けないのだろう。そもそも、誰かの心に残るのだろうか?いや、残る必要もないのだろう。大量生産、大量消費の時代ならばこそ、うたかたの如く消えていく音楽は、使い捨てでもいいのだろう。
    こんな事言うのは歳のせい?いやいや、違うぞな。藤山一郎や岡晴夫は×。二葉あき子や織井茂子は〇。現代でも、あいみょんやAIは、まだ少し〇である。

  8. 宗教;嫌いなもののワースト3に入っているのは、宗教団体、宗教活動である。だから、宗教そのものに、嫌悪感は無い。ただ、経典とか聖書とか、どこから見ても、幼稚過ぎる。一人の奇才を崇め奉った(あがめたてまつった)弟子たちの、その後の活動が、「宗教」になった。ただそれだけで、珍しくもなく、深くも感じない。
    誰かの経歴を読むと、一時、キリスト教や仏教に帰依したとか、日本共産党に入ったとか、愚かな迷いの跡が見られる。「世を惑わす装置」としては良く出来ているのだろうが、つまらない。例えば、孔子→論語。おもいやりだとか、孝行とか、底の浅さが情けない。朱子学、陽明学に繋がって、幕藩体制や明治の帝国主義のバックボーンになった。それだけ、昔の日本人が、如何に無知蒙昧だったか。どういう「教え」を聞いても、僕の心が動くことは無かった。
    何かにすがりたい。生きて行くのに、杖が欲しい。弱虫の僕も、全く同じである。だた、杖を人に借りようとは思わない。自分用の杖は、自分にしか作れないのだ。
(出典:イラストAC

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