雑言集…(052)【我が師我が友】
自分の人生に影響を与えた人物…?
尊敬する人無し。
憧れる人無し。
一目置く人無し。
こんな傲慢不遜な性格ゆえ、
なかなか思い浮かばず。
精神医療においても、
我ながら過ちが多く、
低レベルのまま、
加害者として生きた。
多くの被害者には、
ただ頭を下げるのみ。
しかし、そうは言いつつ、
大した医者など、ついぞ知らない。
人生においては、
凄まじい人は数え切れない。
勝てない人間はゴマンと居る。
藤井聡太と将棋やっても、
やや分が悪そうだ。
しかし、同じ状況に生まれ育ったなら、
似たように生きただろう。
ただ、それだけのことである。
酒乱の父親、
愛光の教師たち。
ガリ勉→東大→霞ヶ関の官僚たち。
医学部→開業医たち。
全ては、「反面教師」としてなら、
影響は大きかった。。
20才の頃、神戸大の下宿仲間。
法学部だった赤松範夫(姫路の弁護士)は、
今も現役バリバリで、
21日も対法務省交渉。
■
その赤松が、腰の重い菊地啓一(豊橋)の、
首に綱付けて、来松してくれた。
「人生劇場」の青成飄吉を思わせる
菊地という男、
未だにその雰囲気たるや、
飄々乎たり!
二十歳過ぎの悩み多き日々に、
「風に吹かれて」生きるサマは、
その後の自分の人生に
深い影響を与えた。
「なるようになるわい」
58年の時を超えて、
狂気(侠気)も稚気も
未だ変わらず健在なり🌟
あの頃、「六甲万引団」
~ダイエーを潰せ~と
威勢は良かったが、
パンツと梅干しとロースハムくらいしか戦果無し。
世の中は、学生運動に明け暮れていた時代…
生き迷いながら、
わしら、何やっとったんじゃろ?
貧乏を笑いにし、
持て余した時間の使い方も知らず、
万引きの蛮勇を楽しんだあの頃。
つかの間の「堕落感」を、
味わいたかったのか?
とにかく、箸にも棒にもかからぬ、
しょおもない毎日だった。
「万引きに行こうや」
「うん、行こうか」
「無線飲食行くか?」
「うん、いいなぁ」
他の連中は、
「先輩、勘弁して下さい」
「おい笠、親を泣かせるなよ」
菊地は、一切止めないから、
万引きをやるようになったのは、
菊地のせいである。
半世紀、その音信を知らず。
まさに奇遇なり。
感慨、感激、言葉に表せず。
あの飄々たる感性は、
我が生き方の「覚悟」に繋がったよ。
死ぬ前に、よう会えた。
今更、「師匠」と呼ばれても、
困惑するわいなぁ。
すまん、師匠⤴️
