(50)・・・天才打者、榎本喜八・・・
広島カープの前田智徳が、引退して8年。左右のアキレス腱を切っていなければ、3000本安打は、軽く越していただろうと言われている。サムライの果たし合いみたいな雰囲気があり、イチローと落合が、「天才と言われるのは、前田だけ」と言ったのは、有名な話。全くぶれないスイングから、糸を引くようなライナーを打つフォームは、多くの球児にも手本と言われた。
その前田が、引退時に、「夢は届かなかった。(宮本)武蔵にはなれなかった」と語ったが、実はその武蔵が、過去のプロ野球に一人だけ存在していた。
まだ白黒の時代で、パリーグの野球など、滅多に放送されない頃。大毎オリオンズは、田宮、榎本、山内、葛城のミサイル打線が売り物だった。中西、大下、豊田の西鉄ライオンズ。野村、広瀬、飯田の南海ホークス。張本、毒島、大杉の東映フライヤーズ。土井、関根、小玉の近鉄バッファローズ。中田、衆樹、戸倉の阪急ブレーブス。どこにも、豪打、好打の打者が居て、群雄割拠だった時代。
榎本喜八は、早稲田実業を出て、高卒でプロに入り、そのまま一流への階段を駆け上がった。2年後輩の王貞治と共に、荒川道場で真剣を振り、徹夜でバットを振り続けた。しかし、二度の首位打者を取っても、最年少で2000本安打を打っても、「未だ武蔵足り得ず」と、練習を減らすどころか、むしろトコトンやり続けた。
当時、首位打者を争った張本も、後の三冠王、野村も、誰にも「榎本だけが天才☆」と言わしめたが、本人は、10本のうち7本も凡打することが、許されなかった。平成の前田智徳と同じく、外角を流すことなく、全てをライト側に引っ張り、内野安打を好まず、凡打も、ヒットも、ホームランも、全てが糸を引くようなライナーを打ち続けた。
剣豪然とした榎本は、誰とも口を利かず、酒も飲まず、麻雀もしない。そうやって孤立し、晩年は、心を病んでいたと言われる。僕の診断では、強迫神経症。いわゆる確認癖であり、完璧症だったのだろう。
引退試合も無く、コーチにもならず、榎本は忽然と姿を消した。マスコミも避けて、あらゆる表舞台にも登場せずに消えたのである。
テレビで見る限りだが、榎本の打撃は、誰にも似ず、誰にも真似できるものではなかった。1打席1打席が、真剣の果たし合いに似て、殺気を覚えるものに見えた。
テレビの放送も無く、球場には閑古鳥が鳴き、たった数百名の観衆の中で、安月給で斗ったパリーグの選手たち。その中でも、孤高を貫き、孤立を恐れず、誰にも媚びることなく、我が道を真っ直ぐ生きた榎本の姿は、僕の憧れでもあった。ルーティーンを黙々とやり続けるのは、アスペルガーの才能であり、イチローもまた然りである。いずれにせよ、マスコミのスポットライトを浴びることなく、唯一無二、武蔵たり得た天才バッターは、プロ野球の歴史において、榎本喜八しか居ないと断言しておこう。