(175)・・・草笛・・・

(173)佐々木新一の項で書きかけたけど、いつの間にか草笛も口笛も吹けなくなった。そんな心のゆとりが無かったのかも知れない。吹かないから、吹けなくなった。そもそも、年を取ると、唇が乾燥しやすいせいじゃろか?

昔は、口笛が間奏や前奏に入る曲も多く、自分でもそれをなぞって吹いていた。「上を向いて歩こう」(坂本九)、「哀愁の夜」(舟木一夫)、「北風小僧のかんたろう」(堺正章)、「風」(はしだのりひこ)、「いつまでもいつまでも」(ザ・サベージ)

指笛は、吹けたことがない。大学時代、沖縄の同級生たちは、野球部の試合中にも、鋭い指笛を吹いていた。

もっと幼い頃には、学校の行き帰りに、野原や田んぼに入って、いろんな草笛を吹いたものだった。タンポポの茎を吹くのはたやすかったが、ブ~ブ~と鳴るだけ。スズメノテッポウ(写真)は、誰にもピ~ピ~と鳴りやすかった。葦笛は、どうやっても吹けなかった。笹笛は、ぶ~ぶ~と鳴るだけで、ちっとも面白くない。その他、何でも口に挟んで吹いていたが、あまり上手に出来た覚えが無い。

最も得意だったのは、麦笛である。実は、誰でも出来た。裸麦の黒ん坊を抜き、爪で小さく割いて、一本一本音程を変える。うまくやれば、ドレミファソラシドと、8本揃えて、ピ~ヒャラピ~ヒャラと吹けて楽しかった。

むぎのくろんぼ:金子みすゞ』
麥のくろんぼぬきませう、
金の穂波をかきわけて。
麥のくろんぼぬかなけりや、
ほかの穂麥ほむぎにうつるから。
麥のくろんぼ燒きませう、
小徑づたひに濱へ出て。
麥になれないくろんぼよ、
せめてけむりは空たかく。

これは、麦の黒穂病であり、風媒によりうつって行くから、これだけは、お百姓さんにも怒られなかった。子どもらが抜いてくれて助かっていたのだ。そんなこととは露知らず…。ただ、健康な麦は抜くにも抜けないので、仕方なく黒ん坊を抜いていたのだ。

今は、麦作自体が減って、麦踏みをする冬景色も見なくなった。麦踏みは、霜柱が立たないように、土の水気を取る為だったように思うが、忘れた。農家の子どもに誘われてやってみたが、「おまえ、荒らしよるだけじゃが」と怒られた。子どもの足では、とてもじゃないが難しいぞな。

『草笛を吹こうよ』作詞:門井八郎 作曲:上原賢六 歌唱:浜田光夫・三条江梨子(昭和38年3月;テイチクレコード)

涙がこぼれて とまらない時は
丘へのぼって 空をみて
草笛を吹こうよ
風よ風よ 届けておくれ
若い心の 悲しみを
み空に浮んだ あの雲に

二人で仲よく 悲しみ合えば
どんな苦しい ことだって
草笛は楽しい
雲よ雲よ 伝えておくれ
若い心の よろこびを
やさしい女神の 住む町へ

明日も逢およ 明後日も逢おうね
涙はれたら お別れの
草笛を吹こうよ
風よ雲よ 歌っておくれ
若い心の あこがれを
あそこで呼んでる あかね空

※門井八郎…「チャンチキおけさ」「船方さんよ」(三波春夫)・「赤いグラス」(アイ・ジョージ)
※上原賢六…「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」「赤いハンカチ」「夕陽の丘」(石原裕次郎)

(出典:イラストAC
(出典:フォトAC