(214)・・・大山鳴動して・・・
自分で言うのもなんだが、昔から口が悪く毒舌家だったし、言う事もやることも傲慢不遜だが、実際の内面は、結構なおじくそ(怖がり)である。特に、高い所が苦手で飛行機には乘れない。それにもう一つ、台風が怖いのだ。
スーパー台風が来ると言うので、いささか胸騒ぎがした。施設に入所しているので、何も心配は要らないのに、台風と聞くだけで幼少期の記憶が蘇り、どうにも嫌な気分にさせられる。
昭和の時代は、大きいのが沢山やって来た。昔は、大きなものには名前が付いた。伊勢湾台風、室戸、第二室戸、ジェーン、洞爺丸、枕崎、狩野川…という具合である。今とは違って、木造家屋ばかりだったし、我が家も木造2階建てのおんぼろ屋敷だったので、緊張感が半端じゃなかった。
14歳の時には、二百十日(立春から数えて)や二百二十日に3回も襲撃を受けた。その最大のものが、「第二室戸台風」である。いつもなら四国山脈の影で、案外風の吹かない松山も、あの時ばかりは凄まじかった。
記録を見ると、とんでもない。最低気圧が、888hPaで、上陸時にも、925hPaだった。当時は、mb(ミリバール)、今は、hPa(ヘクトパスカル)が気圧の単位である。室戸の風速計が壊れて、瞬間最大風速は推定値84.5m/sという凄まじさで、その2年前の伊勢湾台風(被害は最大)を上回る史上最強台風だった。直径が660㎞、航続距離8000㎞と日本列島の端から端まで荒れ狂ったのだ。
家の周囲は、久万川が決壊して水が溢れ、どこからか靴や帽子や植木鉢が流れ着き、ぽっちゃんトイレのウンチも流れていた。子どもの膝上まで水が来て、翌日の登校時は道も田んぼも区別がつかず、小学校の校庭は広々としたプールのようだった。
暴風が強く、家の土壁が内側に風船のように膨れ上がり、3人兄弟で背中を押し付けて、壁が抜けないように踏ん張って過ごした。土壁の土、砂、藁がボロボロと崩れ、貫という木材や小舞という竹組みが見えていた。竹を組んでいたのは、多分葦で作った紐だったと思う。昔の人は、貧しいながらも、工夫して案外頑丈な壁を作っていたのだと、今にして思うが、当時は怖いのなんの。
瓦が剥がされてカラカラと鳴りながら飛び、花びらのように空を舞っていたのも、不思議な光景である。台風一過の晴天の元、どの家でも屋根に登り、瓦の修繕をするのが普通の光景だった。
真正面から来た台風では、松山が(台風の)目に入ったこともある。暴風が突然止んで秋空の晴天になり、風もそよ風になる。そして、30分も過ぎると、吹き返しの暴風が始まるのだ。怖かったから、台風の事だけは、あれこれ鮮明に覚えている。
さて、今年の台風14号は、最大910hPaで、上陸時は925hPaだったから、九州は大変だったろう。しかし、今回も松山だけは風が吹かなかった。いつものように、石鎚山系が壁になってくれたのである。今度ばかりは、この地域でも警戒が尋常じゃなかったし、かなりの人がホテルに避難していたほどである。
僕のようなおじくそは、取り越し苦労が多すぎる。これを、「大山鳴動して鼠一匹」と言う。蚤の心臓じゃ…とほほ。